マガジンのカバー画像

『清史稿』明瑞伝

6
『清史稿』明瑞伝の原文、語釈、書き下し、現代語訳です。至らないところ多々ありますが、誤りが有ればコメントにお願いします。
運営しているクリエイター

#清朝

『清史稿』明瑞伝⑥

【原文】
明瑞無子、以奎林子恵倫為嗣、襲爵。自侍衛累遷奉宸院卿。嘉慶初、剿教匪湖北、自荊門・宜城逐賊入南漳山中。賜玉搬指・荷包。復逐賊至長坪、射賊渠、殪。余賊兢集、中槍死。賜白金三千。
【語釈】
・侍衛 清代、皇帝の護衛をする兵団。(漢辞海)
・累遷 しきりに高官にうつり進む。累進。(大漢和)
・宸院卿 不明。
・教匪 白蓮教徒
・搬指 不明。
・兢集 恐る恐る集まる。
【書き下し】
明瑞子無く、

もっとみる

『清史稿』明瑞伝⑤

【原文】
事聞、上震悼。賜祭葬、謚果烈。建旌勇祠京師、諸将死事者紮拉豊阿・観音保・李全・王廷玉、命併祀。珠魯訥以自戕不与。額爾登額及提督譚五格坐失機陥帥、逮詣京師。上廷鞫、用大逆律磔額爾登額、囚其父及女、併族属戍新疆。譚五格亦棄市、而以其明日祭明瑞及紮拉豊阿・観音保、上親臨奠。
【語釈】
・震悼(シントウ)ふるえいたむ。おおいにいたみ、嘆く。(漢辞海) 
・旌勇 勇を旌わすと訓読した。 
・廷鞫 

もっとみる

『清史稿』明瑞伝④

【原文】
師復進、十二月、次革竜、地逼天生橋渡口。賊踞山巓立柵。明瑞令別軍出大道、若将奪渡口。而督軍従間道繞至天生橋上遊、乗霧径渡、進拠山梁。賊驚潰、俘馘二千余。復進至象孔、糧垂罄。欲退、慮額爾登額師已入。聞猛籠土司糧富、且地近猛密、冀通北路軍消息。乃移軍猛籠。賊尾我軍後、至章子壩、我軍且戦且行。明瑞及観音保等殿、日行不三十里、至猛籠已歳除。土司避匿、発窖粟二万余石。駐三日、復引軍趨猛密、人持数升

もっとみる

『清史稿』明瑞伝③

【原文】
是時緬甸為乱犯辺、総督劉藻戦屢敗、自殺。大学士楊応琚代為総督、師久無功、賜死。三十二年二月、命明瑞以雲貴総督兼兵部尚書、経略軍務。明瑞議大軍出永昌・騰越攻宛頂・木邦為正兵、遣参賛額爾登額出北路、自猛密攻老官屯、会於阿瓦。十一月、至宛頂、進攻木邦、賊遁。留参賛珠魯訥・按察使楊重英守之、率兵万余渡錫箔江攻蛮結。寇二万、立十六寨、寨外浚溝、溝外又環以木柵、列象陣為伏兵。明瑞統兵居中、領隊大臣紮

もっとみる

『清史稿』明瑞伝②

【原文】
三十年二月、烏什回為乱。駐烏什副都統素誠自戕。乱回推小伯克頼黒木図拉為渠、拒守。明瑞遣副都統観音保往討。而帥師継其後。烏什回二千余出御、明瑞与観音保力戦破之。奪砲台七。賊入城、師合囲。明瑞疎陳素誠狂縦激変、及参賛納世通虐回民、阻援師。副都統弁塔哈掩敗妄奏諸状。上令尚書阿桂至軍、按誅納世通・弁塔哈。賊夜襲我軍、我軍詗知之、預為
備。射頼黒木図拉殪、賊擁其父額色木図拉為渠。明瑞以兵六百余夜携

もっとみる

『清史稿』明瑞伝①

【原文】
明瑞、字筠亭、富察氏、満洲鑲黄旗人、承恩公富文子。自官学生襲爵。乾隆二十一年、師征阿睦爾撒納。明瑞以副都統銜授領隊大臣、有功。擢戸部侍郎、授参賛大臣、於公爵加「毅勇」字。号承恩毅勇公。二十四年、師征霍集占。復有功、賜双眼花翎。加雲騎尉世職。師還、図形紫光閣、擢正白旗漢軍都統。二十七年、出為伊犁将軍、進加騎都尉世職。
【語釈】
・富察氏 満州大八姓の一つ。(baidu)
・官学生 八旗官学

もっとみる