『清史稿』明瑞伝⑥

【原文】
明瑞無子、以奎林子恵倫為嗣、襲爵。自侍衛累遷奉宸院卿。嘉慶初、剿教匪湖北、自荊門・宜城逐賊入南漳山中。賜玉搬指・荷包。復逐賊至長坪、射賊渠、殪。余賊兢集、中槍死。賜白金三千。
【語釈】
・侍衛 清代、皇帝の護衛をする兵団。(漢辞海)
・累遷 しきりに高官にうつり進む。累進。(大漢和)
・宸院卿 不明。
・教匪 白蓮教徒
・搬指 不明。
・兢集 恐る恐る集まる。
【書き下し】
明瑞子無く、奎林の子恵倫を以て嗣と為し、爵を襲う。侍衛より累遷し宸院卿を奉る。嘉慶初、教匪を湖北に剿し、荊門・宜城より賊を遂い南漳の山中に入る。玉を賜り搬指・荷包す。復た賊を遂い長坪に至り、賊の渠を射て、殪す。余賊兢集し、槍に中りて死す。白金三千を賜る。
【現代語訳】
明瑞には子がなく、弟の奎林の子である恵倫を子孫とし、爵を襲名させた。恵倫は侍衛から累進し宸院卿の位を授かった。嘉慶初年、白蓮教徒の賊を湖北で殺し、荊門・宜城から賊を追い南漳の山中に入った。嘉慶帝から玉を賜り運んで包んだ。再び賊を追って長坪に到着し、賊の巨魁を射殺した。残党が恐る恐る結集し、恵倫は鉄砲に当たって死んだ。白金三千を賜わった。

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