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天国は春

祖母は可憐な花のような人だった。優しくて、笑顔が可愛くて、純粋な人。

そんな祖母は一昨年の冬、年を越すのを待たずに亡くなった。よく晴れた日。晴れているくせに風は冷たくて、祖母は寒い思いをしていないかと思った。私はちょうど入院していて、葬儀にも火葬にも何一つ出席することができなかった。画面越しに見る祖母の安らかな顔。この世のすべての苦悩から解放されたような顔をしていた。

祖母との思い出は、たくさん残っている。私が好きだといったホットサンドもワッフルもバナナジュースもたくさん作ってくれたこと。幼い私と母と祖母の3人でショッピングモールまで散歩をして、買い物をしたこと。祖母が好きな水色のジャケットを、私に買ってくれたこと。祖母はたこ焼きを焼くのが上手だったこと。お昼寝で眠れなくてぐずる私に、優しく子守唄を歌ってくれたこと。その子守唄が少し怖くて、さらに泣いたら祖母が小さく笑ったこと。その時の手のあたたかさ、畳からほのかに感じるい草の香りまで鮮明に覚えている。

中学生になって、自分が同性愛者だということに気づいた。先生たちには気持ち悪がられ、強制的にカウンセリングも受けた。母親は、毎日わたしに罵詈雑言を浴びせながら泣いていた。「耳鳴りがひどいのはお前のせい」「育て方を間違えた」「あんたなんか産まなきゃよかった」。こんな言葉を毎日言われて、だんだん母を憎むようになった。引き出しに鍵をかけて隠していた日記も、鍵を探し当てられ、目の前で読まれた。今でもこのことを思い出すと、動悸が激しくなって上手く息が出来ない。

その邪悪な血を生み出した祖母に対しても淡い憎しみを向けるようになり、どう接していいか分からなくなった。学校から祖母の家に帰っても自室に引きこもり、デイサービスから帰った祖母を一人きりにしていた。人が2人もいるのに、シンと静まり返っていた祖母の家。父親が迎えに来てくれるまで、一言も話さない日なんてざらにあった。今でも後悔している。

そのあと無事に卒業して、社会人になった。上京に必要なお金が貯まったらすぐに辞めて、恋人の待つ東京へと行った。上京する日、母親は泣きじゃくって「元気でね」と言った。もう2度と会わないような、そんな別れだった。祖母に別れの挨拶を言う前に母親から「祖母に言ったら、ショックで体調がどうなるか分からない。だから言わずに黙って行って。」と言われた。心残りを一つ抱えたまま、東京での暮らしが始まった。

半年が経ち、会いに来ない孫を思って祖母は泣いていると母親からLINEで伝えられた。動画も添付されていたので恐る恐る再生ボタンを押すと、水色のハンドタオルが青色になるまで泣いている祖母が映っていた。心が苦しくなったと同時に、母親から「祖母がこんなに苦しんでいる、東京で暮らさずこちらに戻ってこい」という脅しのようなものを感じ取った。そんな身内から逃げるようにして、そこから2年半が経った。

手術のために、地元へ一時的に帰ることが決まった。秋の終わり、銀杏が眩しいくらいに目の前にひろがっていたのを覚えている。祖母は9月の誕生日を境に、体調がどんどん悪くなっていった。話すことも目を開けることもままならない状態。祖母が入院している病院に叔父と母親と私の3人で向かった。お昼の面会時間にはまだ早く、警備員さんに止められてしまう。「退院して、また会いに行こう。」そう言ったのが最後で、会えないまま祖母は亡くなった。

入院先でいつも通りの朝。母親からのLINE。「おばあちゃんが亡くなりました。」その一文を読んだ瞬間、ダムが決壊したように涙が出た。拭いても拭いても止まらなかった。約3年間。祖母に伝わらなくても、いろいろなことを伝えたかった。目を開けられなくても、祖母に顔を見せたかった。孫の私が出来るのは、それくらいしかなかったのにそれも出来なかった。苦しくて、悲しくて、浅くしか眠れない日が数日続いた。

葬儀に来られない代わりにお別れの言葉を贈ることができた。以下の文はその時に書いたものです。

「おばあちゃん、本当にお疲れ様でした。天国はどうですか?あたたかいですか。おばあちゃんの好きな食べ物は、たくさんありますか。おじいちゃんには、もう会えましたか。真面目で優しいおばあちゃんのことだったから、きっと道に迷わずに会えただろうと思います。

昨日はおばあちゃんが歌ってくれた子守唄を思い出して、声をあげて泣いてしまいました。いつも優しいおばあちゃんのことが本当に大好きでした。これからも、それは変わりません。天国では思う存分好きなことをして、ゆっくり休んでね。気が向いたらこっちに来て、泣き腫らした私の目を見て笑ってください。」

スマホの画面に涙をぼたぼたこぼしながら書いた。小さく開けた窓から、冬の朝のキンとした冷たい空気が入ってきて、私の涙で濡れた頬を撫でていった。火葬の日、火葬場の煙突から出てくる煙を父が写真に撮って送ってくれた。いまにも途切れてしまいそうな弱い煙。天国まで迷わずに行けただろうかと、祖母を想ってまた泣いた。

退院して、一度だけ骨壺に入った祖母の骨に触れる機会があった。脆くて、小さくて、柔い風が吹けば簡単に飛んで行ってしまいそうな骨。泣いてしまえば涙が骨の中に染み込みそうで、必死にこらえた。祖母の遺影のデータをもらって小さいサイズにプリントアウトしたのを今でも持っている。

亡くなって2年が経っても、毎日祖母のことが頭に浮かぶ。天国はいつだって春だろうか、そこで苦しみも何一つなく過ごせているだろうか。天からたまに私のことを見てくれているだろうか。

こちらはそろそろ暑い夏がきます。夏になると、祖母が焚いてくれた蚊取り線香の匂いを思い出します。今年は2度目の手術があるので、また実家に帰る予定です。その時はお土産話と一緒に、おばあちゃんが好きだったスイーツを買って帰るからね。それまで、またお互い優しい日々を過ごしましょう。

#創作大賞2023 #エッセイ部門