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自分が自分を嫌いにならない選択をしていく

嫌いな人たちとめちゃくちゃいい店に行っても、食べたのの味を覚えてないんだよな。それ思い出すとマジひとりで食べた方がマシだったと思う。
てか好きな人たちと粗末なもの食べた時の方がいい感じで記憶に残るものだし、食べ物に罪はない。食材に対してリスペクトを持ちたい。わたしは食べられるものたちが好きなのだ。


友人が言った「ポジティブでいてほしい」とか「弱いフリをするな」という言葉だが、一歩引くと「んなこと言われても無理なもんは無理だろ」的な無責任な発言とも取れる。というか昔のわたしなら、どんなに近い友人がそれを言っても「何言ってんだこいつ?無理だから無理だってんだろ?」と思っただろう。「どうせ見た目がフザけたブスだから真面目に悩むのが似合わないとかクソみたいな理由でポジティブでいてほしいとかほんとは強いだとか言うんだろう」とか。
そもそも人間不信が強く自己開示をせず人間関係を構築していたので、何を言われても的外れだなと感じていた。しかしこれはただの自業自得ってやつである。

わたしはこの「弱いフリ」がイメージ出来なかったのだが、これは他者を利用することなのだと最近理解した。
友人、パートナー、家族、亡くなったが大切な人、またそのエピソードを自分のアクセサリーのように扱うことはもう広く一般的になっていて、キショいのがスタンダードみたいになった。誰でもクソみたいな発信ができるからだ。
身の回りのすてきなことや他者を利用して自分のクセェ自意識を飾る行為や、自分を守るために「弱く繊細である」ということを盾にすることは、見せたい自分像をコントロールできるインターネットという場ではとても有効だ。そしてこの機微を上手く扱える者が他人を操っている場合が多い。ご近所レベルのリアル世界でもね。わたしにはそれが醜い行為に見える。
ってゆーか、いい感じに「見せる」というのはただの虚像なので結局は何も生まない。故に醜かろうと無駄話の域を出ないのだが。。

____ この世界に自分が生きていてもいいのか、わたしはわからない。生きる価値は無いと思う。自分が広く一般的な価値観にそぐわない存在だからだ。一般的な30代女性の見た目や、考え方、経歴、社会参加の仕方、また健康でないことでたいした労働力にもなれず、貢献度などが基準から外れている。
子供の頃から自分には存在価値がないと思っていたし、いらないと思うなら殺せばいいのに殺さない社会に、自分が生きていてもいいのかわからない。ただ、「役に立たないなら死ぬべきである」という考え方を他人に対して向けてしまった場合、わたしがこの世で一番嫌う人物像である優生思想を持つ差別主義者(しかもマウント取ってくるタイプの権威主義者)になってしまうので、自分に対してもこういう考えを持つべきではない。こういうのは誰に向けるかの問題ではないのだ。

というか元々これはわたしの家族たちが言っていた言葉で、長い時間をかけて自分の中に内面化してしまったのだと思う。ふざけんなまじで。最低だな、と思う。「生きていてはいけない」と考えることを家族から植え付けられている時点で大幅にうんこちゃんなのだが、まあいい。
自分の思考がどこから来ているのか考えると、どんなことも影響を受け思考が変わっていったきっかけが思い出せる。いいことも悪いことも自分に影響を与えている。家族がこのようなやばたんだったことも俯瞰してみれば糧になったと思う。
自分の人生が社会的に見た時にクソでも、知っていることやわかることが増え、そこから考えられることが増えていくのがうれしい。知的好奇心を持てること、物を考えられること、人間であるって根拠はたぶんその辺だけだと思う。

今目の前にある物や現象しか見えていなかったら、わたしは首を吊っていたと思う。客観的にはそのくらいクソな人生だった。てかイイジマさんは一週間めし食ってないわたしにそう言った。どう生きようが双方に関係ない程度の知人なのだが、失礼な奴だと思う。
惨めな生活をするなら死んだほうがマシと考える人がいて、下に下がいることで安心する人がいる。下を見て安心する奴隷のような思考は、人としての誇りを捨てることだと思っている。わたしに誇れるものはほとんど何もなく、人としての最後のギリギリの部分しか誇れない。どんなことがあってもそれを捨てないよう生きられたらいいと思う。

わたしはどう転んでもポジティブではないしブスだしキモいけど、いろんなことを考えられるからちゃんと人間やってる。20年インターネットにいるけど虚像の自分に頼ってない。だからわたしは強い。惨めでも底辺でも弱くても脆くても、それをダシにしないならわたしはきっと強いと思う。
「弱いフリをするな」というのは「弱さを盾にするな」「弱さで得をしようとするな」ということだと捉えた。自分を嫌いになる選択をしなければ、精神的に卑しくなければ、それでいいのだ。っていうか、そういうのって自分で気づけるかもしれないけど、考える頭がある人にしか指摘しないと思うんで、信頼してくれてんだなって思いました。。

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諸々踏まえ、どんな状態の自分が好きか思い浮かべると、何をしている時の自分が好きか、どんな人と関わっている時の自分が好きか、というのが見えてくる。また、居心地悪く自分が嫌いになるのはどんな時かも見えてくる。 その辺のことを明記するのは避けるが、自分にも他人にもそれらを取り巻く環境にも嗅覚を働かせることだなと思う。弱さを盾にし始めたらわたしはわたしのことを嫌いになると思う。

なんかまとまらないけど、チャリ乗りたいから終わるんだ。

生きていたいし絵を描きたいし文章書きたいしごはん食べたいと思う。