【zzzの記録〜闘病編〜】
思い出等を書き残していくzzzの記録。
今回は時を遡って2002年頃、自分は5歳で急性骨髄性白血病だった.....って初っ端から話が重い!笑
でもそんなこと言わないで!創作や映画が好きになったきっかけなども含めて、全ての始まりだと思ってるのでその時のお話をしようと思います!
まずい薬と小児科病棟💊
闘病生活、覚えてる限りだとまず毎日めちゃくちゃまずい薬を飲んでいた!中でも覚えているのはファンギゾン(※1)。
あとたまに怖過ぎてトラウマになったマルク(※2)などの検査や手術をする!
抗がん剤治療なので当然、髪の毛は全て抜け落ちる。
自分は右胸に装置がつけられてタイラント(※3)みたいになった。
(※1)『ファンギゾン』…この名を聞くだけであの感触が口いっぱいに蘇る。オレンジ色のゴムみたいな臭いドロドロの薬。注射器で注入するように飲む。
(※2)『マルク』…この名を聞くだけで血の気が引くほどの恐怖。脊髄を穿刺して骨髄液をとる検査。想像してみてください。腰に太い針を刺すんですよ...。
(※3)『タイラント』…バイオハザードのボス。
↓タイラント↓
さすがにあの数々の苦しさは忘れられない。人体実験だったんじゃないかと思うような日々。今でもたまに右胸の傷が疼く、、、。
(『くっ、俺の右胸がっ、、こんな時に!』みたいな厨二病展開がたまに起きる。体調が崩れる・天気が悪くなるなど、何かの予兆だったりするので便利な時もある。)
しかーし、そんな日々でも1人きりじゃない!
小児科病棟には当然、たくさんの未成年者が入院している。だから入院している他の子どもたち、お兄さんお姉さんたち、看護師さんたちがいつも遊んでくれていたのだ。
めちゃくちゃ優しい看護師さんたち↓
自分はまだ5歳だったから廊下で仮面ライダーごっことかして騒いでたけど(よい子は真似しないでください)中高生の大部屋では4人くらいのお兄さんたちがXboxや遊戯王をしていて、それがめちゃくちゃ大人でカッコよく見えた...。
僕もあそこに行きたい...。そう眺めていると、そこへ気にかけてくれた1人のお兄さんがやってきた。
「これ、やるよ。」
サッと渡されたのは数枚の遊戯王カードだった!当時それが何かはよく知らなかったが、お兄さんたちの仲間入りが出来る気がしてめちゃくちゃ嬉しかった。そこからおれのデュエリスト人生が始まる......かのように思えたが、気付けば親がゴミと一緒に混ぜて捨ててしまっていた。
後に捨てられたカードの中で特に印象に残っていたカードを調べた時、それが最強のブルーアイズホワイトドラゴンだったことが発覚。なんとも残酷な話である。
そうした人たちとの時間の他にも、闘病生活を支えていたものがある。それが映画や創作。
映画との出会い🎞
普通の子なら幼稚園や保育園で友達と遊んで喧嘩して、色々学ぶんだろうけど、自分はいつも同じ天井を見上げて退屈。そんな自分に母は映画を観せてくれるようになった。空想の世界が舞台の物語が多かった。
自分がはっきりと映画を意識して観るようになったのは、病室のテレビで観た「スター・ウォーズ EP1 ファントム・メナス」。
観たことない世界がそこにはあって、まるで病室にいることを忘れるような体験をした。自分にとって映画とは今でも、そんな擬似体験をする事ができる掛け替えの無いもの。どこにでも連れて行ってくれる、行ったような感覚になれる。
映画のスケールのデカさに感動しここからオタクになるまでのスピードは亜高速。
病室のベッドの上でライトセーバーのおもちゃを振り回して看護師さんに披露。褒めてもらうまで続けると言う暴挙。笑
そのおかげ(?)で初めての夢は映画監督・映画俳優になった。
ちょうどこの時期は、ペプシコーラにおまけでスターウォーズのボトルキャップが付いていた。それを家族や知り合い、看護師さんや他の患者さんたちが集めてくれて、今でもそれは宝物になっている。
創作との出会い🖌
毎週土曜日は父と母が交代する日。週に1回だけ自分は父と会い、家にいる妹は母と会う。
父は絵や工作が得意だった。アレを作って!コレを作って!と色々おねだりしていたが、それをすぐ形にできる父に驚いた。
カッケェ...
そりゃもちろん自分も真似してやりたくなる!そこから創作が好きになっていった。1人で遊ぶとなればいつも絵や工作だった。絵は小学校の頃に度々賞を獲得できるくらいにはなった!
人と死の距離
人間はいつ死ぬか分からない、そう知ったのもこの時。
昨日まで隣のベッドで寝ていたあの子が、いつもボトルキャップを集めてくれてたあの優しいお姉ちゃんが、突然居なくなる。
正直もう顔も名前もボヤけて覚えていないけれど、優しくしてくれたことや居なくなった後のことがずっと忘れられない。
自分が生きているのはただ運がいいだけなのだと認識させられる。人の死を突き付けられる日々だった。
退院する時、他の病室にいる子たちに挨拶回りをした。「おめでとう!」とみんな言ってくれて、退院祝いに色んなお土産を貰って出てきたが、あの子たちの中にはあそこから出られなかった人もいると考えると、折角生き残ったんだから途中で投げ出さずにしっかりと生きていきたいなと思う。
🌸
重めな5歳のストーリーはザッとこんな感じ。
高校3年まで毎年通院はしていたが、今はもう完治している。自分の体感としては、周りがいつも楽しませてくれていたことが、退院できた大きな要因だったような気がする。もし、これを読んでくれている人の身の回りにも病気で苦しんでいる誰かがいるならば、その人に寄り添ってあげてほしい。
病弱な自分だが、コロナの自粛期間中は運動や食生活に気をつけて体質も良い方向へ変わった!やっぱり丁寧な暮らしって大切。気持ちも前向きになれる!
健康でいることはマジでサイコー!
大事なことなのでもう一度、
健康でいることはマジでサイコー!!!
自分の名前は蓮太朗と言う名前でして、その意味は泥の中で咲く蓮の花のように、困難を乗り越えて輝いてほしいだとか。
名前の由来に相応しい人生のスタート!
しかしこの人生、病気に留まらずここからもまた困難は幾度と無く訪れる....。
意外と友達にも知られていない自分の過去をこれからも少しずつ書いていくつもりです。
皆さんもお身体には気をつけて、絶対に無理はしないでください!
以上、闘病編でした!
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