楽器と教養。ピアノのある日常への憧れ。

大人になってから始めたピアノの上達が遅いのは、素質が無いのか、練習量が足りていないのか、学ぶにあたっての素直さがなくなっているのか。子供の吸収力の高さと大人の鈍さは、科学的にはどのように説明されるものなのだろうか。

講師から受ける注意の多くは、かつて注意されたことのある間違いと同じ間違いである。私に必要なのは優秀な講師ではなく、自律的な練習方法の確立と練習量を確保するためのスケジュールとモチベーションの管理方法かもしれない。いろいろよいアドバイスを受けてきたのに、個人での練習時にタイムリーにそれを思い出せないのはなぜか。同じ注意の繰り返しではなく、十分に練習をしたうえで、講師にはもっと音楽的に高度な質問がしたい。

何のためにピアノを弾くのかと、改めて振り返ってみると、① 弾くこと自体への憧れ、② 弾く楽しみそれ自体、③ 楽器演奏を通した教養習得、という目的が思い当たる。自分でも、ずいぶんふわっとした目的であると思う。実際、弾かなければ弾かないで、数日間何らの痛痒も感じない。それでも私がピアノで遊んでいるのは、なぜなのだろうか。

疲れていても、ピアノの音は癒しになる。(例え電子ピアノのそれであっても。)体調がすぐれなくても、一日に一度は神聖な気持ちでピアノの前に座り、例え片手でゆっくりであっても、五線譜を追うようにしたい。瞑想ではないが、瞑想的な没我的な時間は、一日に一度は必要だと思う。

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