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飛騨の自死を減らしたい

  1. 平成21年 弟が自死。

  2. 令和3年 ゲートキーパー講座で飛騨の自死が多いことを知る

  3. 自死遺族として何かできることがないか迷走中

自死は自殺のことです。
タブー視されがちな死に方です。
家族が自死したことで、毎日ひとの生死について考えるようになりました。
わたしが住むまち、飛騨は自死が多い地域らしいです。
それなら自分が住むまちの自死を減らしたいです。
自死遺族として何かできることはないのかと考えるようになりました。
そのことを書いていきます。
平成21年ひとつ下の弟が自死しました。
27歳でした。
死因はうつ病からの縊死です。
高校卒業後は一年浪人して愛知の予備校に通い、翌年無事合格して東京の大学に通っていました。
詳しくは知りませんが、大学生活で何かあったようで東京で何度か自殺未遂を起こしていました。
何回目かの未遂後、実家に帰ってきているときに首に紐の痕が残っていたのを見て、あぁ、本当に死のうとしたのかと思いました。
何を話したらいいのか、
わたしは何か力になれるのか、
わからなくて何か楽しみを見つけることをすすめたくらいです。
自殺未遂をするくらいなので、とても大変だったと思いますが何とか卒論を書き上げ卒業はできたようです。
その後実家に戻ってきて働き始めましたが、やりたかった仕事ではなかったのか長く続かなかったようです。
仕事を辞めてからは、家で好きなように過ごしていたようです。
死ぬ前に携帯電話の通話履歴もあり、会って話す友だちも何人かいたようです。
わたしは離れて暮らしていた為、普段どんな様子だったのかわかりません。わたしも日々の仕事や生活で必死で弟に構ってられませんでした。
東京にいる間に自殺未遂もしているので、心配した家族と共に精神科を受診し、服薬治療はしていましたが、お酒もかなり飲んでいました。
どうして死んだのかは今もよくわかりません。
死人に口なしです。
遺書のようなメモのような日記のようなものが少し残っていましたが、家族がすぐに処分したようで今では読むことができません。
30歳までは生きていたくない、というようなことは書いてありました。
死ぬ1か月程前に電話で少し話したのが、最後になってしまいました。
連絡をもらってから弟に会うまでの何とも言えない重苦しさ、寂しさ、忘れられません。
久しぶりに帰った実家は泣き声と、家族が弟を呼ぶ声が混ざった静かな静かな夜でした。



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