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「努力すれば報われる」という思い上がり

Instagramでたまにフォロワーさんから質問を募集する。「好きな食べ物は何ですか?」「好きな番組は何ですか?」のようなフランクな質問に答えたり他の芸人さんのようにボケ質問にツッコんで返したりしたいのに、私のところ来る質問はこんなのばっかりだ。


「頑張ったはずのことに成果が伴わなかった時、どう思うようにしていますか?」


なんで私のフォロワーはこうも皆、新聞の相談コラムへの投書のスタンスなのだろう。鴻上尚史さんとかジェーン・スーさんとかDJあおいさんとかに聞けよ。まあ、送ってはいるのだろうけど膨大な相談メールに埋もれて読まれなかったのでしょう。代わりに答えてみましょう…。


まず「努力すれば報われる」というのはとんだ思い上がりだと私は思います。周りを見渡せば、そして過去の自分を振り返れば火を見るよりも明らかなように、「努力」は「成果」の必要条件であって十分条件ではありません。頑張ったはずのことは成果が出たらラッキーというだけです。「努力は報われる」というのは成功者がついテンション上がって口走ってしまった妄言か、そうと信じてでもいないと立ってられないくらい追い込まれた人のために紡がれた最後の言葉であり、真理とは程遠い。

ただ、それでもやはり我々が時に努力を恨んでしまうのは、才能の差や環境の差のせいではありません。才能の差や環境の差なんてあって当たり前です。より見えにくく我々を煩わせるのは「努力の種類の選球眼の差」です。仕事柄と環境柄、いろんな人に会ってきましたが、少なくとも同世代の人の中には「天才としか言いようのない天才」はいませんでした。あなたの周りにもたぶんいません。ほとんどなぜすごいのか、そしてそのためにどう努力をしてきたのかが説明がつきます。説明はつくし、聞けば彼らはいろんなやり方を教えてくれるのに、我々は彼らに追いつけない。それはなぜかと言うと、彼らは方法論を導き出すのが異常に速いからです。我々が一個の方法論でつまづいてる間に彼らは何個も試している、我々が新しい方法論を身につけた頃には彼らはもっと洗練された方法論をインストールしている。特定のジャンルが異常に好きな「努力を努力と思わない天才」もいるけど、その人がそのジャンルに出会えた運を羨んでも仕方ない。多くの「努力を努力と思わない天才」はそのジャンルに出会う前に無数の他ジャンルで失敗しています。

よって、我々にできることの1つ目は「自分が努力を努力と思わないジャンル」を見つけるために日々いろんな挑戦をすることですが、これは生涯を賭けた地道なギャンブルです。2つ目は、直近でやらねばならない仕事や勉強の方法論のアップデートが異常に速いメンターを見つけ、並走することです。「努力したのに報われなかった」は嘘です。「努力の仕方がズレていた」「目標設定が間違っていた」「最低限の努力ができていなかった」のどれかです。





こんな回答がもし参考になったのならおめでとうございます。あなたの人生は随分お気楽です。鴻上尚史さんたちにメールがどうしても届かなかった人たちからたまに質問を募集しますので、届かなそうな人は私のinstagramをフォローしてみましょう↓

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文章を書くと肩が凝る。肩が凝ると血流が遅れる。血流が遅れると脳が遅れる。脳が遅れると文字も遅れる。そんな時に、整体かサウナに行ければ、全てが加速する。