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古文を自力で訳すのは、記述が必要な人だけでいい。

と思う。今のところ。
あくまでも大学入試での話。

学校であまりにも全文訳を求められるからか、きれいに訳せないといけないと思い込んでいる生徒が多い。

でも実際、そこまで古文が必要な人は全体の1~2割くらいな気がする。
国公立文系志望や難関私立(関関同立とか早慶上智とか)文系志望の人たちだ。
この人たちは、入試で記述問題があるので、自力できれいに訳す力が必要になる。
この人たちは例外。

他の人たちはどうか?
文章の中から注意するべき単語や文法を見つけて、正解できればいい。
選択肢がヒントになることもある。本文がヒントになることもある。
自力で全てをする必要はない。

全部しないといけないと思うからしんどくなるし、できないと思う。
そうじゃない。できる部分もあるはず。

例えば、次の文はどうだろう。
  男もすなる日記といふものを女もしてみんとてするなり。
「男がする日記というものを女もしてみる」ぐらいは意味が分かると思う。

「古文は今の日本語とは違う言語だ」という意見もあるけど、それは言い過ぎ。日本語ではあるのだから、何も勉強してなくても訳せる部分はある。
きれいに訳せないだけで。
とりあえず、それでいいと思う。

ただ、大学入試では、もっと細かいところを出題する。
そうしないと、合否を決められないからだ。

ある大学に入ってしたいことがあるのなら、まずはその大学に合格しなければならない。
そのために古文を勉強する。
それでいいと思う。
古文は、将来したいことを実現する手段の一つだ。
古文ができるようになることが目的ではない。
手段と目的を間違えないように。


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