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京都という最低な観光地を満喫するための2つのルール

大学4年間、京都に住んだ。
思い出はいつも京都の街とともにあった。

言うまでもなく、京都は日本を代表する観光地だ。
私が住んだ2011〜2015年までの間にも街に外国人観光客が増えていたが、オリンピックイヤーの2020年をめがけて急速に開発が進んだ。
東京に引っ越してからも年に1度は遊びに行くが、その度観光客たちの熱気に圧倒される。

正直、4年住んだ身からすると、観光客はみな大変だなと思う。
京都は急いで回るには本当にひどい街だからだ。

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もちろん街の魅力はよく理解している。住んでいたのだから。
寺社仏閣と近代的なビルが喧嘩せずに共存できる不思議な町並み。
ゆったりと流れる鴨川。
和食の老舗はもちろん、ラーメンの名店も密集している。
正直、機会があればまた住んでみたい。
だが行ってみるとぞっとするくらい、あれは不便な街なのだ。

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不快要因①:盆地

千年の都、京都は山に囲まれた盆地にある。
攻め込むのが難しい”自然の要塞”だからこそ、ここに朝廷が置かれたわけだが、現代ではこれが厄介なのだ。

まず、近郊に空港が作れない。京都盆地以外の近くは山ばかりだから滑走路が敷けないのだ。こうすると大阪の空港を頼るしかない。
関西の玄関口の関西国際空港から京都までは100キロも離れているから、電車で1時間半〜2時間もかかってしまう。


盆地は不便なだけではない。過酷な気候をつくりだす。
夏は地獄の窯のように熱い。
清少納言が「夏は夜」と書いた頃は、きっと夏でも夜は涼しかったんだろうが、現代の京都の夏の夜はとにかく不快だ。湿気た生ぬるい空気が身体にまとわりついて離れない。浴衣なんて熱くて着れたもんではない。
冬の底冷えもまた厳しい。
日中と朝晩の気温差にはこたえる。雪が降る日は趣があっていいけれど、そうでない日も曇ってどんよりしている。
そして春と秋、桜と紅葉のすばらしい季節は一瞬で過ぎ去ってしまう。京都のほとんどは過酷な夏と冬で占められている。
だから観光客は桜と紅葉の見頃を狙うと混雑を避けられず、それを少し外すと不快な気候の中街をめぐることになる。
随分なもてなしではないだろうか。

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不快要因②:碁盤の目

次に厄介なのは市街地に張り巡らされた”碁盤の目”だ。東西と南北に直行する通りが街の基本を形つくっている。
平安京が遷都した当時から続く構造は「迷いにくい」という長所がある一方、現在では短所の方が目立つ。
車での移動が極めて困難なのだ。
碁盤の目ということはつまり「交差点だらけ」。大通りで東西南北に少し移動すると都度信号にひっかかる。その上車が普及する前の道幅がそのまま残っているため、車同士がすれ違えない細い道も多い。そういった道はだいたい一方通行だ。
徒歩なら道がわかりやすいのに、車で移動した途端理不尽な迂回を強いられる。

そういった事情からか、京都市内は渋滞が絶えない。
観光客にとって”足”となる京都市営バスは時刻表通り運行したためしがない。ひどいときは同じ系統のバスが2台並んでバス停に到着する。
「ならバスは諦めて電車を……」と思っても、代わりになる交通手段はほとんどない。地下鉄東西線・南北線と京阪電車・阪急京都線はあるものの、主要観光スポット間の移動をカバーできるとはいい難い。
新しい路線をつくろうにも、地面を掘ると埋蔵文化財調査で工事が全然進まないだろう。
だから京都観光は移動との戦いになる。せっかく遠方から来たのに「バスが来なくて、行きたい寺社仏閣を周り切れませんでした」なんて、あんまりじゃないか?

京都を楽しむための2つのルール

盆地と碁盤の目のせいで、京都観光は想像よりも大変だ。
でも、冒頭でも述べたように京都は素晴らしい街だから、ぜひ気持ちよく散策してもらいたいものだ。
そこで京都に住んでいた私からおすすめできる、京都観光にオススメのルールが2つある。
まずは「とにかく歩く」こと。

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朝と夜、比較的バスが空いている時間に目的地周辺へ移動して、日中はとにかく徒歩で歩ける範囲でだけウロウロする。
例えば銀閣寺〜哲学の道〜南禅寺〜平安神宮、祇園〜高台寺〜清水寺といった東山エリアは徒歩でも十分観光地めぐりができる。
バスを待つストレスもないし、道すがら思いがけない穴場スポットに巡り合うことができる。
もう一つは「予定を決めすぎない」こと。
つい観光となると時間を刻み過ぎてしまうが、こないバスをあてにしてはいけない。気候も過酷な中無理に回ると疲労の原因にもなる。
行きたいスポットやお店を詰め込みすぎず、流れにまかせるのがいい。
「人気のレストランのランチに行列ができていたら、諦めてそのへんのパン屋で買って食べ歩きする」
「夕方、時間が余ったらさっさと宿に帰って、少し休んでから飲みに行く」
くらいのアバウトさがあった方が京都は楽しめるに違いない。

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「住めば都」という言葉がある。
もともと”都”の京都の場合、「住んでこそ都」なのかもしれない。
住んで街と時間を共にしてこそ、存分に楽しむことができる設計なのだ。

ちなみに、京都人は全然観光地に行かない。いつでも行けると思っているのだ。
住めない観光客だとしても「またどうせ京都くらい行くでしょ」くらいつもりで訪れるのが肝心だというのが、私の持論である。

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