【50代からの健康】 月明かりと黒部の太陽

ヒロシです、

私は旅行が趣味で日帰りのプチ旅行をしたり、
遠出をしたりしています。

ただいまの状況ではなかなか出かけられない状態です。

私は10年以上前に多発性硬化症という、
難病にかかり足が動かしづらい状況です。

そのため身体障害者手帳を取得しました。
はじめは障害者というレッテルを貼られたことを、
とても気にしていました。

しかし手帳があるおかげで公共交通機関が割引になることから、
自分の趣味である旅行に活かせると思うようになり、
手帳を取得してから旅行に行く回数が増えていきました。

行き先としては主に国内ですが、

北は北海道、
実家がある東北、
新幹線が通っていなかった頃の北陸、

きしめんを食べに名古屋、
たこ焼きや土手焼き食べたくて大阪、

出雲大社や松江城を見たくて中国地方、
桂浜の龍馬像を見たくて四国、
行ったことのなかった九州など

まだまだ行きたいところはたくさんあります。

旅行に行くと、
気分転換にもなりますし、
その土地の美味しいものも食べられます。

何より現実と非現実を味わえるのが醍醐味です。

2年前の秋に、
ちょっと変わった旅行をしたことを
今日は書いていきます。

9月の中頃の話ですが、
古い映画を観て、
その影響からか、
黒部ダムへ行きたくなりました。

仕事が終わって、
夜の新宿駅
夜行快速列車に乗りました。

画像1

今は亡き189電車です。
快速ムーンライト信州81号
出発前に撮りました。

画像2

かつて碓氷峠を越えたいた当時のロゴが、
入っているのがとてもステキです。

画像3

その日の宿です。

ここで一晩寝ろと、
狭い限りですが、
非日常感にあふれいるため、
なぜかワクワクします。

列車は時刻通り23:54
新宿駅をゆっくりと出発しました。

今はほどんど列車内で聴かれなくなった
鉄道唱歌のメロディーとともに、
都心の街明かりを横目に、
車内で過ごしていました。

都心を抜け、
八王子駅も過ぎてくると
街の灯りも少なくなってきました。

外灯とたまに通る車のヘッドライトくらいしか見えなくなりました。
夜の静寂が広まっています。

山梨県内の入って、
ふと外に目をやると、
月明かりがとてもキレイでした。
まさに列車名と同じムーンライトです。

甲府駅を過ぎたあたりで、
眠りに落ちました。

次に目が覚めると松本駅に着いていました。

目指す信濃大町の駅まではあとわずかです。
到着まで夜が明けたばかりの景色を眺めて過ごしました。

朝5時10分を過ぎた頃、
信濃大町に到着しました。

まばらですが駅には人がいました。
おそらく私と同じで、
黒部ダムへ行く人たちでしょうか。

駅前を散策していると、
バスの切符売り場が開きました。

バスの乗車券を購入して、
黒部ダムへの入り口である
扇沢駅へ向かうバスへ乗り込み、
私たちは出発しました。

列車のなかではほとんど寝てねないせいか、
バスの車内では爆睡してしまいました。

一眠りしていると、
バスは扇沢駅へ到着しました。

ここからはトロリーバスで黒部ダムを目指します。
障害者手帳を見せチケットを買うと、
案内の方から声をかけられ、
階段のないエレベーターへ誘導されました。

トロリーバスののりばに着き、
乗り込むと、
出入り口付近の席に座るよう案内されました。
降りる時にまた声をかけてくれるとのことでした。

トロリーバスの出発時間になって、
出発の合図のクラクションとともに、
扇沢駅を出発しました。

出発するとすぐにトンネルに入っていきました。
終点の黒部ダム駅までトンネルの中でした。

車内アナウンスで、
トンネルでまだ水が染み出ているところもあると、
聴きました。

私が生まれるずっと前に、
黒部ダム建設のための資材を運ぶために、
このようなトンネルを作った当時のことを考えると、
難工事だったんだなと考えさせられました。

ほどなくして黒部ダム駅に到着しました。
トンネル内で検挙を越えました。
ここはすでに富山県です。
駅はまだトンネルの中です。

ここでも一般のお客さんが全員が下車したあと、
階段のない通路へ誘導されました。
障害のある方や車椅子の方にも配慮されているなあと、
感心しました。

案内の方から、
帰るさいは案内所のほうに、
声をかけてくださいとのことでした。

通路を突き抜けると、
駅の外へ出ることができました。

するとダムに堰き止められた湖が、
目の間に飛び込んできました。

あなたもこの景色ごらんになったでしょうか。
とてもステキです。

そのあとは、、、


続きはまた後日

ヒロシ


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