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お笑いが大好きで、苦しかった話。

初めまして。

私はいろんな沼に足を突っ込みながら20年強生きてきた、生粋のオタク人間です。
私が今どんな沼にいるかという話はまたいつかするとして、今日は私の最初の「沼」について、話をさせてください。
(章立てをしてないので読みにくかったらすみません。)

 


私は中学生の頃からお笑いが大好きで、人生で初めて本格的に「沼った」のがこの界隈でした。

中学入試に失敗し、なんとなく入ってしまった志望校じゃない進学校で、
それまでの狭い世界では優等生だったはずなのに、勉強もついていけず毎週補習に呼ばれ、部活も合わず早々にやめて無気力人間だった私は、
放課後が暇すぎてなんとなく片っ端から深夜番組を録画して見るようになったのをきっかけに、ずぶずぶと若手芸人さんたちにはまっていきました。

当時はスマホもなく(中三までガラケー持ちだった)、片っ端から深夜のバラエティを録画して見て、家族共用のパソコンでこっそりよしログやYNNを見て、そして時々劇場へと足を運ぶようになりました。
私はバイト禁止の学校だったのでそんなに通い詰めることはできなかったけど、貯金して、月に数回チケットを取っていました。(今は亡き「チケよし」のポイントめちゃくちゃ溜まってたな。。)
初めて趣味のためにツイッターでアカウントを作って、そこを介した「友達」も何人かできました。

劇場には、可愛い女の子たちがたくさんいて、有名ないわゆる「出待ち」が行われていました。
私は彼らと「直接話す」とか「認知してもらう」ことにあまり興味がなく、大した差し入れを買うお金もなかったので、のちにできる界隈の友達に誘われるまでしたことはありませんでしたが、楽しそうなお客さんの姿を見るのが好きでした。

当時私は校則の厳しい学校にいたので、よく渋谷駅でスカートを履き換えて劇場に向かったことは今でも学生時代の思い出の一つです。
推しの芸人さんが賞レースの決勝に上がった時は一週間緊張して寝不足になったり、みんなでツイッター上で実況しながら賞レースを見守ったり。


お笑いオタクでいて、とっても楽しかったです。

紛れもなく、帰宅部だった私の大切な青春の1ページでした。


というか、今でも賞レースは毎年の大きな楽しみだし、時々劇場にも行くしお笑いは大好きです。

 


…でも、一つだけ。

ずっと心にひっかかっていたことがありました。

 

それは、世間では多くの人に「お笑い好きな女なんてどうせ顔ファンだろ」というレッテルを貼られてしまうこと。
(特に劇場にも結構行く、っていうとそう言われる傾向ある気がします。)


私は大学に入って、この現実を突きつけられました。

お笑いが好きだというと必ず聞かれる、「誰が好きなの?」「コンビ、どっちが好きなの?」「え〜、こんな人がタイプなの?」、、
いつしか顔ファンと思われないための答えを用意している自分も、
「顔ファンと言われるかもしれない」と本当の推しを答えられない自分も、
どんどん嫌になっていきました。


確かに私の青春だったはずの彼らのことをまっ正面から好きだって言えない。
誰好き?に対してとある割とシュッとしたタイプの芸人さん(実名出そうか迷ったけど、流石に彼らに申し訳ないから伏せておきます)の名前を答えたら、「あ〜なるほどね、察し」って言われたり。
(この時は結構マジにイラッとして、酔ってるフリして「じゃああなたは何のネタ見たことあるんですか???」って捲し立てたけど)
だからって銀シャリとか03とか答えて、「私は違うんですよ〜」みたいなプレイをしてる自分もすごい気持ち悪くて。
(後者の方達もライブとか単独行ったりしてたし大好きだったのは本当だけど、わざわざ保険みたいな意図を持って彼らの名前を挙げてる自分が嫌だった。)

でも、大学で「お笑いとかラジオ好きな変わったやつ」というキャラが浸透しつつあった私には、素直に推しを答えて「ああ、なんだ顔ファンか。」と言われるのが怖かった。
それも今思えばすごくダサいけど、それでも、その一言で自分の大切なものを、「所詮顔のいい男が好きなだけの女」というような薄っぺらい定義づけをされるのが怖かった。
せめて「本気でそのジャンルを好きな変なやつ」でいたかった。

中高生の時には周りにいなかった「異性の先輩」や「推しという概念が"理解できない"ひとたち」の言葉で、自分の心の中の大切なフィールドが踏み荒らされていくのが、怖くて、いやだった。

本当は。

テレビとYTの違法切り出しアップロードしか見てない男の先輩に、私の大切なものを荒らされてたまるか、と思っていた。
私の方が、絶対にお笑いがすきなのに。
彼らのことをずっと前から見ているのに。


無料コンテンツしか見ていないあなたより、私は何倍もお金も時間も使って好きでいるのに、どうしてマウントを取られなければならないの。


この話は野球ファンと映画ファンの女友達ともしたことがあるのだけど
(※あえて今回はどの界隈も呼称を「ファン」に統一しています)、
「女だから」という理由だけで自分たちの「好き」は「顔しか見ていない薄っぺらい「好き」」とみなされて、
逆に男だというだけで対して見ていなくても「玄人」なファンとして扱ってもらえるのか。

何でもかんでもジェンダー警察になりたくはないけれど、どうしても「女は深い解釈ができない」と心のどこかで思われているのではないだろうか、と思ってしまう。

というか芸術を評する(評論家とか)ことは男性が行うことが多いけれど、よく考えてみると美術館も舞台演劇もミュージカルもお笑いも音楽ライブも、お客さんは基本的に女性の方が多いと思うんですよね。
芸術やエンタメにお金を落としている人って、明らかに女性の方が多い。
ファン体験だけじゃなくて、普通にアートとかエンターテイメントとか趣味にお金をかける、という考えは女性においての方がメジャーだと思う。

なのに、いつまでも受け手としては「未熟な存在」だと思われるのかな。
なんでだろう。

「女子供ウケ」とか一括りにしやがって、舐めてんのかほんとに。

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もう一発食らってしまったのが、
芸人さん自身が
「女性のファンは欲しくない(もういらない)、男性ファンが増えて嬉しい」(意訳)
と口にしたこと。


別に彼らにも私たちを傷つけたいという意図がないことはわかっている。
それに、「女の顔ファンばかり」というレッテルを貼られた人たちが、
仲間内で肩身が狭い思いをしていることも、わかっている。(それもどうかと思うけどさ。)

実際私の好きだったとある芸人は、マナーの悪い女性ファンのせいで賞レースの予選をダメにされたことがあるし、彼らの「顔とか可愛いとかじゃなくて、純粋にネタを見てほしい」という気持ちは重々理解しているつもりだ。
意図していない部分の評価で、自分たちが悩み抜いて作ったネタが正当に評価されないもどかしさは理解に難くない。

そもそも大前提、私だって別に見返りが欲しくて応援しているわけではない。
私が払ったチケット代の対価はライブで彼らのネタを見て笑うことで充分もらっている。それはもちろんそう。

それに、単独ライブの客層が多様化して、それまで少なかった男性一人のお客さんやおじさんが増えたことは、私だって嬉しかった。
私たちお笑いファンだけのものじゃなくなって、色んな人に知られて愛される存在になっていくのが、自分のことのように嬉しかった。
本当は、心の底から喜びたかった。

それでも。
さすがにそこまで本人たちから明確に「いらない」と言葉にされると。


悔しかった。そして、なんだか切なかった。
私は彼らのネタが好きで、フリートークで見せる人間味が好きで。
私はただ真っ当に「ファン」としてお金を払って彼らを支えているはずなのに。
「応援」している人に「お前はいらない」と言われる気持ち。

それは私が「若い女」の客だから?


もっと現実的に、すごく嫌な言い方をすると、
毎年単独ライブを開催できているのも「女性の」ファンがたくさんいるからなのに。
DVDが発売できるのも、彼らのネタが見たくて買う人(女性を含む)がいるからなのに。
今までは黙ってその恩恵をうまいこと利用してきておいて、
ラジオで男性のファンを獲得できたら、テレビに出て茶の間に認知してもらえたら、
急に私たちのことは「いらない」って言うんだなって。

「若い女だから」と言う理由だけで?

別にお金を使うことが是であるなんて全く思わないし、人それぞれの「好き」の大きさに序列はないとは思っているけれど、
毎週無料でラジオを聴いているだけのファン(というより単に番組リスナーでは?)と、
年2回の単独にチケットを取って行きグッズも買い、DVDが出れば購入して、TV番組の出演希望アンケートを送って、事務所ライブにも足を運ぶファン。

優劣とかではなくもちろんどちらも大事だけど、でも性別だけを理由に後者の方が軽んじられるのはやっぱり何か違いませんかね…??


(ファンに対して「いらない」はどんな形であってもないだろ、とは思うけど、)せめて「顔ファンはいらない、ネタを見てほしい」くらいにとどめておいてほしかったな。


悔しいような寂しいような、怒りのような。そんな気持ちでした。
今思い出してもじわじわと感情が蘇ってきて、ちょっときつめの言葉遣いになってしまったような気がします。
多分感情的で読み苦しい部分ありましたよね、すみません。


そして、このセリフ(の持つニュアンスの内容)は私が好きだったその芸人に限ったことではなくて、結構色んな人が口にしていると思う。(男のファンしかいない、をトロフィーのように掲げるとか)
逆に女性芸人さんに言われることもあるし。
『お笑いファンの女子の「女芸人好き」は、「顔じゃなくてお笑いが好き」のアピールに過ぎない』みたいなね。


それをだれも止めない、言い過ぎていると思えないその「界隈」に、正直、私は少しつかれてしまった。
だから、前よりちょっと距離を置いた。
上に書いたように他の界隈だって大なり小なりそういったことは言われるけれど、ことお笑いに関してはその傾向が特に強いと思った。だから、私はそういう言説が比較的少ない女子ドルや音楽界隈に、「逃げた」。


いないと思うけれど、もしも、これを読んでいる若手芸人(ミュージシャンとかもそうかも?)さん、もしくはその周りの「大人の人」がいるなら。

笑いで、ネタで評価されたいというあなたの気持ちは重々理解しています。

だから、どうか。

「女しかファンいない(マイナスニュアンスを含む)」「女性ファンはもういらない」

的な言説を大声で言えてしまう空気を、これ以上続けていかない界隈になってほしい。

変なタイミングで歓声をあげて客席を荒らす「若い女性」の観客もいるけど、そうじゃない「若い女性」という属性の客もいるよ。それに逆にいうとおじさんでも笑いどころがズレてたり、めちゃめちゃ私語多いとか劇場でのマナーができてなかったりする人もいる。


結局、その人次第でしかないと思います。だから、「属性」だけで切り捨てられるのは、ちょっと悲しいです。


これは蛇足ですが、最近の若手芸人さんたちの活躍を見ていると、個人的には少し希望を持ってもいいような気がしています。
若い世代にはジェンダー意識が高い人も多いし、なんなら彼らは「かっこいい」と言われることさえも正面から武器に変えていて。

堂々とアパレルやら音楽やらいろんなジャンルに飛び込んで、その一方で社会問題も自分たちの言葉で語ることができる。

何十年も使い古された女下げ芸よりも、よっぽどそっちのほうが「芸人」として、そして「人間」として、カッコイイんじゃないかなと思う。


「性別」を理由に、「好き」を否定されるなんてもう平成で終わりにしよう。


そうなってくれたらいいな、と願いながら。


これからも私はお笑いもアイドルも演劇と音楽も、色々なエンターテイメントを愛していこうと思っています。
1人のオーディエンス(受け手)として、そして「ファン」として。


あくまで自分のペースで、自分の尺度での好きを大切にしていきたいです。


あなたにどう思われようと!私の「好き」は私のものだ!!




※補足※
この内容は、別に芸人さんに対する「顔が好き」「かっこいい」という感情を否定するものではありません。
そのレッテルに対抗するあまり、そちらに対する批判に見えてしまっていたらごめんなさい。

文中に挙げたような過剰な歓声などではなく、本人たちの邪魔をしない範疇でならばですが、そもそも他人に人の「好き」を否定する権利などないと私は思っています。


そして、そもそもあの頃の私みたいに一部の女性ファンが、自衛のためにだとしても、時として「ワーキャーオタク(失笑)私は違うんで〜〜」みたいなスタンスをとっていたことが、さらに彼らをつけ上がらせている部分もあるのだろうなぁ、と思い、過去の自分を悔やんでいます。

女ファン下げしてもウケるんだな、じゃあこれ言ってもこいつらついてくるだろ、みたいな認識を与えてしまったんだろうし、何より「シュッとしてる芸人の女オタクは馬鹿にしていい」と思わせてしまった原因の一つなのではないかなぁ、と思います。

そのあたりのことについてはもっと言いたいことがあるけれど、長くなりそうなのでそれはまた別の機会に書きますね。

それでは、また。




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