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わたしらしさは、私が決める。

2021年8月18日、JAMIEを観劇しました。
(しばらく経ってからこの「東京建物Brillia劇場」があまりにも悪名高いことを知りました。。。確かに言われてみると無駄な動線多かったり色々思うところはあったなと。。。)

きっかけは地下鉄の車内ビジョンで偶然映像を見たこと。衝動的に「これ、見たいかも!」と思ってその場で検索してチケットを取りました。(そう考えるとやっぱ広告って大事なんだね!😃👍笑)

これは余談ですが、こういう衝動的な行動は私のデフォルト的なところあるけど、
今回に関しては「今度でいっか、人気らしいしまたすぐ再演するだろうな〜」と思っていて、もう二度と「今度」はこなかった、(偶然作品テーマ的にもちょっと似てる)とある舞台のことを思い出したせいもありました。

「今、見たい」ものは、絶対に、「今」見るべきだよ、、。


今回しかもU25チケット(Go Jamieチケット)なるものでかなりお得に観劇させていただきました。ホリプロさん優しい…。
席も一応S席相当の場所である上の階の後方中央でかなり見やすかったです。
お値段A席より安かったのに。ありがたい、、、。
私は全体を俯瞰で見たいタイプなので二階席の中央付近とか結構好きなので大満足でした。

▼詳細はこちら

CASTと印象に残ったシーン

私が見た日のキャストは、森崎ウィン×田村芽実回でした。

お二人とも存じ上げてましたが改めて、歌がめっっっっちゃくちゃうまい。


森崎ウィンさんは歌番組とか出てたの見たことあって、「器用なひとなんだな〜」くらいに思ってたけど、歌のうまさだけじゃなくて役者として「セリフを歌う」ってこういうことなんだな〜と感じました。
最初のDon't Even Know Itの歌い方と2幕以降の歌い方が別人のようで、凄いなあと。

あとは全然関係ないけどちょっと岸くんに似てるなって思った。笑
冒頭の気弱なジェイミーの早口であわあわ喋る感じとかが特に。(そしてロビーですれ違った親子が同じこと言ってたので多分結構本当に似てた)


めいめいはハロOGとして認識していたけど、いわゆる”ハロ歌唱”の感じがかけらもなくて(ハロ歌唱をディスっているわけではなくて、どうしても幼い時から刷り込まれた歌唱って抜けないイメージだったので。)、ミュージカルスターの発声ですごく美しかった。
プリティの清らかで強く美しいところがぴったりだな、と思いました。
後述しますが、♪ビューティフルが良すぎて毎日聞いています、、、😭

▼オリジナルキャストver. ですがこちらから♬
https://open.spotify.com/track/3DeakH16eOw5q9uydSbjdj?si=a0e62762ac754c9b



あと Wキャストだったのはディーンかな?ディーン役は佐藤流司さんでした。
めちゃくちゃかっこよかったです。顔面が強いとはこのことだなと、、。

と、まあこれは冗談ですが(思ったのはほんとだけど!笑)、
ディーンはまあいわゆるこの物語における「ヒール」役なわけだけど、「「悪」」に振り切っていてとても良かったです。
プリティに「あなたは裸の王様、それも今日でおしまい。」みたいなこと言われた時の反応とか、ほんとに。

ちなみに超個人的な話だけど、私は自分がキャストとして演るなら絶対にディーンがやりたいです。ヒール大好き。。。

しかしやっぱりかっこいいんだよなあ顔が…最後のプロムのシーンのひざまづくところとか柄にもなく久々にときめいてしまったよ…王子様じゃんかこんなん…(まだ言ってる)


クラスメイトたちもみんな魅力的だったけど、特にすごく印象に残ってるのはベックス。
「生徒の中でひとり声量と歌唱力異次元の人いるやん…!?!どなただろう!?!?!!」と思って後でキャスト見たら、知ってた。
鈴木瑛美子さんやん…。そりゃ上手いに決まってるわ…。突き抜けるようなハイトーンがめちゃめちゃ凄かった。

ああ、私も来世はあんな風に歌える人に生まれたいなあ。


「新しい自分に生まれ変わる」こと

正直、こういう「生まれ変わる」的な題材って物語において割とありがちなテーマ。
「人生は一度きり。自分らしく生きよう」というテーマも、とても素敵だけど、それほど珍しいものではないと思います。


でもそれらの多くとJAMIEの違いは、
ストーリーが「これまでの過去を捨てて、新しい自分に生まれ変わる」だけで終わらないところだと思います。

最後まで見て、広告のビジュアルとかコピーの明るくてキラキラした印象よりも思ったよりもずっと「現実」で、ずっと重たい、深いストーリーだなと感じました。

そして、そこがこの作品の大きな魅力だと思います。


※ここから大きくネタバレします※

「新しい、輝く自分」に生まれ変わる的な話は基本的に、主人公が殻を破って自信を手に入れたところで物語はハッピーエンド、幕を下ろすと思います。

正直私は、今回もそうだろうな、と勝手に思っていました。
ジェイミーがドレスを着て踊って舞台上で輝いて、物語は終わるのだろうなと。
見くびっていたとかではなくて、それで全然いいしなって思ってました。


だからびっくりしました。
1幕の終わりにはもうそのフェーズが終わっていたからです。

1幕が終わった時点で、もうジェイミーはヒューゴと出会い、ドレスを着て、
美しいドラァグクイーン「ミミ・ミー」としてステージ上に誕生していました。

よくあるストーリーなら、これで終わってもいいところです。
ステージに「ミミ・ミー」があらわれて光を放ったところで幕が降りた時、私は「えっっ????ストーリー終わった??休憩挟んでなにする????」くらいの気持ちでした。

2幕は、ショーを見にきたクラスメイトがジェイミーの噂で持ちきりになるところからスタートします。まさに原題である「Everybody's Talking About Jamie」という状態。


物語の中ではしばしば、
「弱くて自信のない」主人公が、ある出来事をきっかけに「スーパーマン」になって、過去の「弱い自分」とは決別した、新たな人生をスタートさせます。


でも、現実世界では「生まれ変わり」で全て解決、ハッピーエンド、とはいかない。

生まれ変わることが全てを解決してくれるわけではないし、そもそも人は自分の過去を「見ない」「忘れようとする」ことはできても、完全に切り離すことはできない。

実際、この物語では彼のトラウマを作った父親とは、ジェイミーが「生まれ変わった」ところで一生分かり合えないままだし、ディーンだって「裸の王様」であることを突きつけられ負けを認めただけで、別に100%ジェイミーのことを受け入れられるようになったり言動を謝罪したりするわけではありません。

加えて、生まれ変わった後の「強くて自信にあふれているように見える」新しい「自分」が褒められ愛されるほどに、
「弱くて自信を持てない」本来の「自分」では、愛されないことが明示されていくような感覚に陥る。

彼が、みんなの視線を集められる「ミミ・ミー」と違って、弱くて父親にも必要とされない「ジェイミー・ニュー」の存在意義を見失って苦しんだように。

だから、結局「弱い自分のままで、自分を肯定する」ことが必要になる。

そして、彼にとってはそこに導いてくれたのが、プリティーの存在だった。

「そのままの、あなただけの魅力。」
ハイヒールを履くことを否定するわけではなく、ドラァグクイーンとしての彼を否定するわけでもなく、でも、そのままの「ジェイミー・ニュー」の美しさを見つけてくれる。


あなただけの魅力は、その誠実さ、ピュアさ。

そして、
「自分の道を行くの。簡単にはみつからないけど。自信を持ってあなたのままで。」
と、プリティはジェイミーに語りかけます。

ジェイミーが彼女を
「たまに女の子になりたくなる男の子にとって、この上なく素敵な親友」、
と言ったように、
彼らにとってお互いは
性別とか信仰とかを超えて、支え合えるかけがえのない存在なのだと思います。

私には、そんな人、いるかなあ。
わからないけど、性別も年齢も超えて(もちろん両方同じ人もいるけど)、こんなめんどくさい私を受け入れて、面白がってくれる貴重な何人かの人たちは、これからも大切にしていきたいなあと思っています。
まさかこれを読んではいないだろうけど、これからもよろしくね。

さて、話を戻します。

以下、このシーンでプリティー(Pretti)が歌う「♪ビューティフル(It means beautiful)」のサビの歌詞引用です。

Beautiful, beautiful
A little bit of glitter in the grey
Beautiful, beautiful
Something precious you don't rush to give away
Beautiful

「Something precious you don't rush to give away」は、確か日本語詞では「誰にもあげてはだめよ」と訳されていたと思うのですが、
この「誰にも」は「ミミ・ミー」のことも指しているのかなあ、と個人的には思ったりしました。

「あなたの魅力はあなただけのもので、「もう1人の自分」にだってとられてはだめ。」という意味なのかなと、個人的には解釈しました。

この曲の歌唱シーンの時、プリティのイスラムっぽい?雰囲気の小さな部屋が煌めきに満ち溢れて、視覚的にもすごく美しくて(アラジンのwhole new worldのシーンを彷彿とさせるような!)、終始号泣していました。
あれから英語版も日本語版も毎日聴いてます。

日本語版こちらから▼


そして彼の母親もまた、過去の自分との間でもがき苦しんでいます。
私が一番号泣していたのが、お母さんの♪My boyです。
(隣の席のお姉さん、多分私があまりにも歌い出しからズビズビ言っててびっくりしてたよね…ごめんな…)

自分がかつて愛したあの人が、呪いのように、愛する「彼」を、そして自分を、苦しめていること。
そして、本当はわかっているのに、可能性に縋りたくて、いつまでもあのペンダントが外せない自分のこと。

わかっていても過去を切り離すことができないのは、彼女もそうで。
もちろんMy Boy(ジェイミー)は彼女の大切な「希望」だけど、あくまで彼女にとっての「プリティ」は、レイなのだろう。
正反対だけど信頼しあえるレイがいるから、揺らぎながらも生きていられる。

そう考えるとやっぱりこの作品の根底に流れるテーマは、「支え合える仲間の大切さ」なのかな、と思います。上のジェイミーとプリティの話とも重なりますね。


過去の自分を受け入れて、その存在も認めた上で、新しい自分と共に歩いていく。

そんなこと簡単に言えるけど、私も、まだできてなどいない。

いじめられていたあの頃のことなんか無かったことにしようとしているし、今でも許してなんかない。もう10年近く経つけれど、思い出すだけでまだまだ新鮮に怒りが湧いてきてしまう。
むしろ、その怒りのエネルギーがこんなにも私を全速力で走らせていることも否定できないけど。


いつかあの頃の自分も認められるようになるのだろうか。

まあ正直、今のところそんなつもりにはなれない。

まだ私はその強さが持てず、私にとっての「ミミ・ミー」を演じ切ろうとしている。
強くて仕事ができる1人で立っていられる人でありたいと、必死で走っている。
時々空虚に苛まれるとしても、
「仕事ができて、みんなから頼りにしてもらえる、真面目な私」
として、誰かが認めてくれるなら、必要としてくれるならそれでいい。

必要とされるなら、そうあり続ければいい。

別にその姿も完全なる虚像なわけではなくて、「私の一部」だし。

でも、今のところは、まあ、それくらいで。
それでも客観視してここに書けるくらいにはなったことだけでも、とりあえずはいいと思おうかな。


人生とか友人とか家族とか、色々なことを考えさせられる作品でした。


なんだか最後私の自分語りというか自己分析みたいになってしまいましたが、今日はこの辺で。



※この文章、書き終わるのに一年以上かかってしまいました。筆の進み遅すぎ、、、、

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