応援のメッセージと そして
愛犬のちょこまるさんが突然病気になり、お空へと旅立ったとき、私には深い後悔がありました。
彼によって支えられていたものに、あまりにも無自覚に過ごしてきたからです。
半日でも外出して戻れば、会うのは何年ぶりかな?と思うような勢いで跳び上がって、喜びいっぱいに尻尾を振り、これでもかとペロペロ舐められる。
そんなことが、10年間、毎日何度も繰り返されたのです。
大きな「愛の塊」のような存在だったんだもの。
時が経ち、「ごめんね」が、「ありがとう」に変わったのかといえば、
そうとも言い切れない今があります。
深いところに、ぎゅっと、掴まれたような痛みが残っています。
過ぎた時間は戻ってきません。
だから、きっと後悔がなくなることはないのでしょう。
「恩返しがしたい」のは、突き詰めてみれば、自身の気持ちの昇華のため、まぁ、つまりは、自分のエゴのために動いているのです。
先日、「虹の橋 ぬり絵」 を購入いただいた方より、メッセージをいただきました。
「応援しています」
その言葉に、嬉しさと同時に、背筋がぴーんと伸びる思いです。
SNSで発信を始めて半年が経とうとしていますが、
慣れたかというと「?」マークしか出てこない、影響力なんて皆無なレベルだと捉えていたので、
軽く稲妻に打たれたような衝撃です。
実は、これから月に1〜2カ所程度、動物霊園や、保護動物シェルターのあるボランティア団体を訪ねて歩こうと思っています。
愛するペットを亡くしたとき、
私のように自責の念に駆られ、何か恩返しがしたい、もっと良く生きたい、そう思う人は、結構いらっしゃるのではないでしょうか。
私もそうですが、ボランティアや寄付などの支援も、そんな想いがあってスタートするケースが多いようです。
ただ、ネットの情報からは、支援先の実情はわかりません。
直接その場を訪ねることで、なにか見えてくるものがあるかもしれないし、ないかもしれない。
ここがいいとか悪いとか、上から目線で評価がしたいわけではありません。
もし、運よく訪問先でお話する機会を持てれば、中の声を聞くことにより、もしかしたら広がりや展開・発見があるのではないかと期待もあります。
若い頃は、幽霊の存在を信じていないのにもかかわらず、お寺やお墓が、薄暗くちょっと怖いと感じていました。日常的に行かないので、余計にそう感じたのかもしれません。
しかし、義母が在家得度していて、徳島県のお寺に仕えている姿を見ているせいか、身近に思えてきたのです。
長寿社会の現代日本では、「死」がどこか遠いところに存在していると錯覚していますが、この歳になって意識するようにもなりました。
四国といえば、お遍路さん。
そこからの単純な思いつきですが、これが私らしい巡礼の旅かもしれません。
巡っているうちに、感じるものや見えてくるものがあるかもしれないし、ないかもしれない。
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