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FOREST COLLEGE 受講note|3

INA VALLEY FOREST COLLEGEの受講ノート。今回もまたいろんな気付きや学びがあった。

前々回のnoteに「生まれた子にとっても育てる親にとっても、東京だと大切なことがいろいろ抜け落ちそうだなー」と書いた。

第二講目となる「森と教育~キャリアデザインに森をいかすには~」がテーマの回は、自分が感じている”東京だと抜け落ちそうな大切なこと”が言語化されたような回で、すごくためになった。

■体験やプロセスを取り戻す

この回のゲストの一人、久保田さんが代表をつとめる四徳温泉キャンプ場のコンセプトは「生きる力をとりもどす場所」

スマホでポチッとすれば欲しいものが届く。そんな現代の都市生活の中では、様々な”体験”や”プロセス”が喪失し、生きるチカラのようなものが感じられない。それを取り戻す場としてキャンプ場を運営されているようだ。

私もキャンプが好きで、”高規格”といわれるようなキャンプ場にも何度か行ったのだけど、その度になにか違和感を感じていた。キャンプの醍醐味が”生きるチカラを取り戻す”ことだとすれば、その違和感も説明できる。

蛇口をひねれば当たり前にお湯が出てくる日常に、喪失しているプロセス。薪を用意し→火を起こし→水を汲みにいき→沸かす。

こういう体験の中で”生きるチカラのようなもの”を感じるためにキャンプしに行っているのだとしたら、炊事場でお湯が出てきちゃうのは(便利で快適でしかないのけれど)満たされない。

現代生活で喪失した生きるチカラは、不便の中にこそあるのかもしれない。

そんなことを考えていたら、今年読んだ長いタイトルの本、[ごめんなさい、もしあなたがちょっとでも行き詰まりを感じているなら、不便をとり入れてみてはどうですか? ~不便益という発想]で語られている”不便益”という言葉を思い出した。

現代社会のものさしからは「不便」と思われがちなことに「益」を見出すのが不便益という発想です。

キャンプ場のような場の運営、自然の中でレクリエーション(recreation)やリトリート(retreat)といった体験を提供するような仕事を考える場合、この”不便益”をいかにデザインするかが結構大切な気がする。

■体験から暮らしへ

もうお一人のゲスト、近藤さんが先生をしている愛農学園農業高等学校が掲げるビジョンは「小さくて頑丈な暮らしをつくる」。

小さくて頑丈な暮らし、その言葉にグッときてしまった。複業や移住を通じて自分の叶えたいのは、そういうことなのかもしれない。その後に話された言葉も、グッとくるというか、グサッと刺さるものが多かった。

「たくさんの命と生きていくことは、体験的にしか学ぶことができない」
「暮らすということは好きや嫌いを超えて一緒に生きるということ」 
「日々の飯をつくる尊さ」
「自分たちがやったことを、自分たちが受け取らずに、次に渡す」

なぜ刺さったのか。それは、今の自分の暮らしから抜け落ちていると感じていることが、まさに上記のようなことだからだ。

そしてそれらは、愛農学園の生徒さんたちが全寮制で暮らしながら三年がかりで学ぶように、森や自然と地域と一緒に”暮らす”ことでしか埋められないのではないか。そんな気もした。

■本当の生活力がほしい

都市で暮らしていると、生活力=経済力という感覚になってしまう。実際、お金があれば生活できる。しかし、今回のトークセッションで語られた生活力というのは、まさにサバイブするチカラ。食べる野菜を生産するとか、暖をとるための薪をつくるとか、銭稼ぎの前にある「自分の暮らしをつくるチカラ」のこと。

自分が複業としてやりたいのも、まずはそういうことなのかもしれない。それが複業といえるのかどうかわからないけど。

森が健全でいられるように手入れをする→自分の家族を温める薪や美味しいきのこをいただく→余剰があれば、銭稼ぎ。

小さく、自分のできる範囲で、こういう一連に携われないものだろうか。コンパクト農業、小農みたいなことを最近よく聞くが、コンパクト林業みたいなことはできないだろうか。もう少し勉強や妄想をしてみたいと思う。

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