FOREST COLLEGE 受講note|2

INA VALLEY FOREST COLLEGEの受講ノート。講義の内容ではなく、自分の考えや思いをまとめるために、書き留めてみようと思う。

森×ものづくり

今回は「森とものづくり〜自然を生かすものづくりとは〜」をテーマに、それを実践する方たちのトークセッションを聞いた。

地域によって樹種はいろいろで、樹種によってものづくりもいろいろ。

たとえば、"飛騨の森でクマは踊る"というなんともキャッチーな名前の会社の松本さんのところは広葉樹が多いらしい。

広葉樹はVUCAらしい。Volatility(変動性・不安定さ)Uncertainty(不確実性・不確定さ)Complexity(複雑性)Ambiguity(曖昧性・不明確さ)。今の世の中を表す言葉としてよく聞くが、広葉樹もまさにこれなのだとか。

なろほど、と思う。広葉樹がVUCAなら、一定のクオリティ、一定の表情のものを、一定の量供給するような、「定」を求めるものづくりには向かない、めんどくさい素材なのだろう。

それだからなのか、伐採された木のうちの結構な量がチップになってしまうらしい。

松本さんの会社は、そのめんどくさい広葉樹と向き合い、VUCAの中に活路を見出しながら、広葉樹の価値を高めるものづくりに取り組んでいる。

森への興味の入り口が"焚き火"や"薪"の自分には、「広葉樹のほうが火持ちがよくて薪にいいらしい」「じゃあ、移住するなら広葉樹の地域だな」くらいの頭しかなかった。広葉樹=ものづくり的にはめんどくさい、でも、可能性もある。という視点が加わった。

後のグループディスカッションでは、広葉樹に限らず、木には曲がったものがあったり材になりにくい部分も多く、住宅や家具などの材に使われるのは10伐ったとしたら2〜3くらい、というお話も聞いた。

木を扱う=リスクを引き受ける

今回いちばん印象に残ったのが、香川で山一木材という材木屋さんを営まれており、KITOKURASというブランドでいろんなものづくりや場づくりをされている松尾さんが最後のほうにおっしゃった「木を取り扱うことは、リスクを引き受けること。それを上回る価値があると信じている。」という言葉。

リスクを引き受ける、というのは飛騨の松本さんも言っていた。なんだかグッときてしまった。

木と向き合うものづくりというのは、やはり自然の産物が相手なのだから、不確かで思い通りにいかない部分も多いのだろう。

それを、できるだけ思い通りに、できるだけ定かなものへ、多様ではなく均質へ、という方向のものづくりもあるのだろう。

しかし、今回お話を聞いた方々はそうではなく、皆さんがそれぞれのアプローチで、多様な木の特性を多様なままに生かすようなものづくりをされている印象を覚えた。

実感を伴うものづくり

このカレッジを主催してくれている伊那市にある、やまとわの中村さんは、家具職人をしていく過程で森林塾に参加し、森の課題に気づいたという。そして今は、地域材を活かしたものづくりをされており、地域のきこりの方と連携したり山に入って自ら木を伐ったりもしているそうだ。

「木がどれだけ重いのか、木を切ることがどれだけ大変なのか、体感してきている」「実は大工になりたかったけど、大変そうだから室内でできる木工を選んだ。でも、木工から森に入るようになって、さらに大変なことになった。」と笑って話されていた。

あぁ、と思う。

「広葉樹はめんどう」「リスクを引き受ける」「木がどれだけ重いか」

普段から地域や森や木と向き合っている方の、言葉に表れる”実感”や”体感”が、自分にはないと気づく。当たり前だけど。

都心に住む自分が、移住だ複業だといいながら、地方や森をみつめるとき。どうしても"ないものねだり"的な目線になってしまう。

Macbookに向かい合いながらうーんうーんと作業をしていると、木を伐るといった作業が健康的でいい汗かいているように見えてしまう。

いろんなことがコントロール可能な(ように思える)環境にいると、自然と共に暮らす不便で思うようにいかない環境にさえ、豊かさを感じてしまう。

いまの仕事(コピーライター)をやりながら、例えば木こりをやる。ないものねだりが解消されて、いいじゃないか、と思ってしまう。

しかし。

木を伐る大変さを一定期間思い知り、自然相手のリスクやめんどうさを実感できたとき、自分はそれでも「コピーライター 兼 森の仕事」いいじゃないか、といえるのだろうか。

あぁ、木を伐らないとはじまらない。そんな気がしてきた。


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