おれも日本一になったことないから
おれも日本一になったことないから、わからへん
ラクロス部に入部して数か月したとき、1年生コーチに言われ、そんな無責任な、と衝撃を受けた。
大学に入るまでちゃんとスポーツもやってきておらず、勉強や受験、といったフィールドで戦ってきた自分からすると、問題があり、答えがあり、解説がある。そして教師・講師といわれる人は答えと解き方を知っている。
それがあるべき姿だと思っていた。
だから、大学から本格的に始めたスポーツで、かつやったこともないから右も左もわからない1年生に対して、4,5年ラクロスを続けてきた大先輩であり全国準優勝も経験したコーチでもあるその方がことあるごとに言うそのセリフに驚いた。
周りのみんなもそうだったと思う。何か自分が問い詰められ、不利になると「だって日本一になったことないから、わからへんよ。」ということが同期の中では流行っていた。
「わからへん」という勇気
でも、自分が引退し、そのコーチと同じ立場になった時に初めて
そして、今、体育会学生のキャリアについて相談に乗る立場になって改めて
この言葉の重みや、言える心の強さを痛感している。
まず、「わからないこと」を認めるのは、特に指導者やアドバイザーという立場になると、難しい。信頼を得られないんじゃないか、見切りをつけられるんじゃないか、という恐怖を感じるから。
そして、この「わからない」は、もちろんそれで終わりじゃなく。「わからへん。だから一緒に考えよう。」とか「わからへん。だけど、君はどう感じる?」という言葉が続くわけだけれど、これは、答えの提示より圧倒的に粘り強さが求められる。相手とともに考え、相手の考えを引き出し、相手の成長機会を奪わないコミュニケーション。
コーチという現役を離れた立場で、あくまで何の責任も負ってない立場で、その労力をかけることの恐ろしさ。
当時は、早く正解教えてくれたらいいのに、と思ってた。でも、この時粘り強く質問し続けたり、一緒に考えてくれたコーチのおかげで、考える習慣や、同期みんなで議論する文化が生まれたと思う。
「わからへん」継承者
今の仕事には「わからへん」を発揮する機会がたくさんある。
就活も佳境の今、
「銀行の志望動機はこう話したらオッケーですか?」
「商社に入りたいんですが、他にも会社みたほうがいいですか?」
そう無邪気に質問してくれるみんなにこういいたい。
「銀行の面接官じゃないから、わからへん。」
「うん、いや、どうやろ、全然わからへん!」
そうして、ぜひ一緒に考えたい。
もうそんなじっくり考える余裕ないんですよ、
と23卒の学生は今(22年4月1週目時点)では言うかもしれない。
けれど、自分も勇気をもってお付き合いさせていただくので、ぜひ一緒に考えたい。将来のことを考えるのに、考えすぎ、はないんじゃないか。
とりあえず答えを出す人、じゃなく問いを立て、問いに隣で一緒に向き合う「わからへん」継承者でありたい。
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