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手紙7_宮田から本藤へ 「ghost note」を振り返り〜来年への抱負

本藤さん

まずは、2021年のらせんの映像祭お疲れ様でした。我々、視聴覚派のパフォーマンスをはじめ、上映プログラムも盛況に終わり、心置きなく2021年を締めくくることが出来そうです。

今年の前半はやはりコロナに振り回され、仕事も変化があったりと何かと激動でしたが、そんな中で私も、今まで以上に私らしい私であるために、自分の性自認と真正面から向き合い、ありのままに生きるという一つの決意を掲げました。

その上で臨んだ今年の視聴覚派パフォーマンス「ghost note」。

本藤さんにとっても私にとっても、各々意味のあるパフォーマンスになったと思います。

Facebookでの本藤さんの言葉。

2016年の正月から昨年迄(アートフェアデビュー、就職、猫の死、犬の死、祖父母の死、アル中で蒸発してた父の再登場及び死とそれに伴う膨大な後処理、そしてコロナ)にコンパクトカメラで撮った全てのデータを時系列順に並べたスライドを元にVJをしました。
これは、アート作品ではなく、この5年間に憑いていた亡霊たちを振り払いたくて行った〈儀式〉だと私は考えています。

本藤さんの言うように、今回の「ghost note」はパフォーマンスという名目でありながら、厳密には「儀式」という方が相応しいでしょう。

僭越ながら、本藤さんの直近5年間の過去を知らなかったもので、これを知った上でghost noteの映像を見返すと新たな面が垣間見える気がして興味深いです。

今度、本藤さんに取り憑いていた「亡霊」たちの話をお伺いしてみたいものです(本藤さんがお話し出来る範囲で、ですが・・・)

そして、私が振り払いたかったもの・・・

Xジェンダー即ちLGBTQ当事者として抱えざるを得ぬ苦悩、焦燥、憤り。性別違和を確信した11歳当時から約20年分蓄積された数々の感情。

ジェンダーフリー・ダイバーシティ・多様性・SDGsなどの言葉が謳われて久しい昨今、私もその恩恵を享受する人間の一人なのでしょうが、私は完全なるジェンダーフリーは実現し得ないと考えています。

ジェンダーフリーを突き詰めようとすると、どうしても身体上の問題、伝統、慣習と衝突し、折り合いをつけなければならないからです。

世の中は、何だかんだ言いつつも「男か、女か」の二元論で成り立っています。

トイレ、更衣室、温泉、女性専用車、アンケートや問診票で目にする性別記入欄などなど、男か女か明確に定義づけせざるを得ない局面は多々あります。そんな中で、私のようなXジェンダーは内心では抵抗を感じつつ、身体上・戸籍上の性別に則り便宜上の選択を迫られているのです。

身体上は男か女かの何れかですから、これは致し方のないことでもあります(両性具有の方は別でしょうが・・・)。よもや日本中の温泉旅館においてXジェンダー用の「X湯」を作るための投資など行われるはずもないでしょうから(温泉好きな私にとっては悩ましいところですが・・・笑)。

Xはあくまで認識上の問題ですから、結局私も表向きには世の中の通説である二元論に従属し、日々を歩んでいます。

そのストレス、もどかしさは、「ghost note」の中でギターの音色として表現してみました。

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雑踏の中で徐々に湧き上がるギターの音は、日々の生活の中で、私の中に確かに感じるLGBTQ当事者としての苦悩、焦燥の数々。それら一つ一つを浮き彫りにさせ、ビートが入った辺りは、それらの輪郭をより明らかにし解き放つための儀式のようなものでした。

そして、憤りと化したそれらの音はノイズとなり爆音となり、私の中から解放される。

こんなイメージで演奏してみました。きっと、本藤さんの中で行われていた「儀式」においては、私のギターの音色はまた違った意味合いを持っていたのでしょう。

私としては今回のghost noteは、自分の表現についての新たな活路を見出すことの出来たパフォーマンスだったと思います。

これまで自分のCD作品の中で詩的感情を昇華してきたことはこの往復書簡でも度々触れて来ましたが、今の自分に必要なのは私に纏わりついている負の感情(≒ストレス)の解放ではないか、と。

現代社会のストレスと日々向き合う私だからこそ出来る事を模索してみたいですね。語弊を恐れずに言えば、もっともっとおどろおどろしい表現になるでしょう(笑)。

ところで、先日の打ち上げで本藤さんも、

「Kinotopeへの参加を通し、自分のことを表現することを後押しされた」

という趣旨のことを仰っていたかと思います。

2022年、本藤さんからどのような「自己表現」がなされるのか、今から楽しみでなりません。

その一方で私は、映像作品の制作を検討しています。これまで音楽しか制作して来なかった私にとっては新たな挑戦です。

前述の負の感情にフォーカスし、本来の自分を見つめ直すための「活動」をしてみたい。

具体的なプロセスについてですが、「音楽アルバム」ならぬ「映像アルバム」のようなもの作ってみたいなと思っています。

松本人志のコント作品に「ビジュアルバム」というものがあるのですが、これはミュージシャンがアルバムを作るのと同じように定期的に作品をリリースする、というコンセプトのもとで制作された作品なのだそうです。

そのコンセプトに着目し、今まで音楽アルバムを作ってきたのと同じような感覚で、「負の感情」「本来の私」という極めて個人的な内容を5~10分くらいの映像として幾つか切り取り、アルバムとして発表・公開する。

これを視聴覚派として挑戦できるか、Kinotopeとして実現出来るものか、私個人で完結させるべきか、どのようになるかはまだ想像出来ていませんが、来年のらせんの映像祭までには形にしてみたいな、と。

これが、逗子アートフィルム一員としての来年の目標ですね。

あと一応、とりあえず2022年の目標を掲げておきますと・・・

ボイトレを行い発声を向上し、両声類を手に入れ、「愛が生まれた日」の藤谷美和子パートを原曲キーで歌う、といったところでしょうか。

それでは、今年の往復書簡最後の課題になりますが、「本藤さんの来年に向けての抱負」をお聞かせいただけたら嬉しいです。

良いお年をお過ごしください。

2021/12/29
宮田涼介/Ryosuke Miyata

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本藤太郎/Taro Motofuji a.k.a Yes.I feel sad.

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逗子生まれ。日本大学藝術学部写真学科卒。カメラマンとして撮影現場を奔走する傍ら2016年より美術活動を開始。写真作品を中心に舞台やインスタレーション、楽曲や映像等を制作し国内外のアートフェアや地域アート等で発表している。 ZAFには2013年の「逗子メディアアートフェスティバル」の頃から雑用として関わっており、2017年には作家として参加。基本寝不足。
https://www.yesifeelsad.com/
https://www.instagram.com/taromotofuji/?hl=ja


宮田涼介 / Ryosuke Miyata

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神奈川県在住の音楽家。ピアノ楽曲や電子音響作品を中心に、国内外でアルバムを発売。
2021年5月に新アルバム「slow waves」を配信リリース。
また、カフェやWebコンテンツでのBGM制作、シンガーへの楽曲提供・編曲を行う。
http://ryosuke-miyata.com/
https://www.facebook.com/ryosuke.miyata.music/



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