螺旋の映像祭の為の往復書簡.8
これは写真家/美術家の本藤太郎と音楽家の宮田涼介が、2020.10/10に逗子市で行われる「螺旋の映像祭」に提出する作品を制作する為に行っている公開往復書簡です。
※前回はこちら
本藤さん
朝夕は大分過ごしやすくなりましたね。
高校の頃、「凛として時雨」をよく聴いていましたが、初期の作品で「秋の気配のアルペジオ」という楽曲があります。
嘘くさいくらい秋の気配…毎年9月にもになると、このフレーズが頭の中で再生されます。
8月下旬からこの時期にかけては、毎年何やらセンチメンタルな気分に駆られます。
創ることは祈ること
創りたい欲望と、見られることへの恐怖…この矛盾とも取れる2つの自意識を内包していたのは、今となっては少し可笑しくも思えるものです。しかし、当時はこれがもう当たり前のものとして骨の髄まで沁みついていたので、この状態でもって自分の想像力と向き合うことを最早苦痛とすら感じられていなかったと思います。
フロイトの「混沌、沸き立つ興奮に満ちた釜」も言い得て妙なもので、普段はこの心の釜に蓋をしつつ、得体の知れない・混沌とした心情を解放する為に時折蓋を開け放つ。無自覚ながら今までこのようにして心の均衡を保ちつつ、創作と向き合ってきたのでしょう。
作る為に作る…まさにそうですね。
そして、本藤さんの言うように大衆に向けてというよりは「誰か」に向けてです。
CD作品をレコードショップに流通させる以上はコストが掛かりますし、レーベルの方や店員さんの生活にも関わってくるので、必死こいて売り込んでいかなければならないのですが、僕自身が振り返るに、どれだけ多くの人に届くかという部分にはあまり執着が無かったような気がします(本当は良くないのですが)。
表現することに対する「恐怖」は今でもありますから、初めてタワレコで自分のCDがプッシュされた時、達成感と同時に「やってしまったな」という背徳感も少なからず感じたと思います。
当時の恐怖の名残があるから、大衆に向けてというよりは、この世界の誰かに届くことを「祈りながら」創っていました。
大衆に向けて創作するのであれば、そもそもアンビエントはやってないですね(笑)
VOCALOIDが流行った時に、もう少し多くの人に届けることに執着しても良いのかなと思い、初音ミクのソフトだけ買ったのですが、トレンドに引きずられて自分が揺らぐのを恐れて結局使わなかったんですね。
「我が道を行くんだ」と思っていないと、なかなか持たないジャンルなので…(笑)
芸術表現としての写真
僕は絵のセンスだけは全く無くて、それ自体がコンプレックスにもなっているのですが、写真や映像を使っての表現に興味があって、だからこそ逗子アートフィルムに携わってみたかったのです。
確かに写真や映像に勝る「記録」「証明」は無いでしょう。
ただ、実在する(した)ものや事実が芸術表現として昇華されていく過程に興味を持っています。
その過程の中で、作家自身の思想や感性が織り交ぜられているはずで、そこに目を向けるのは、その人が持っている「混沌、沸き立つ興奮に満ちた釜」を覗く行為に他なりません。
-自分の網膜を通った光が脳に届けられ、処理され、「視覚」として認識されている映像が疑わしい
-日々後ろへ過ぎ去っていくイメージの存在証明をする
これが本藤さんの「混沌、沸き立つ興奮に満ちた釜」であり、「祈り」でもあるのでしょうね。
最近見つけた面白い作品について
面白い作品というと色々候補はあったのですが、任天堂のSwitchオンラインで「スーパードンキーコング2」が配信されるようなのです(最近の作品でもないのですが)。
僕はあまり外で遊ぶことのない超インドアっ子だったので、テレビゲームとは切っても切れない関係にありました。
中でもこの「ドンキー」シリーズは、アート的な意味でもかなり影響された作品で、自分のアート原体験はテレビゲームにあります。
スーパードンキーコングというと、やはりDavid Wise氏の手掛ける音楽ですね。
初めて音楽で度肝を抜かれたのは、この楽曲を聴いた時だったと思います。
当時のテレビゲームとしては珍しかったであろうアンビエント・ノイズ的なアプローチで、これが生まれて初めての衝撃だった以上、アンビエントというジャンルに辿り着いたのは自然の摂理としか言いようがありません。
今思えばゲームによって「混沌、沸き立つ興奮に満ちた釜」をかなり揺さぶられていた節があります。
最近はテレビゲーム自体やらなくなっているのですが、90年代辺りのテレビゲームって、得体の知れないシュールさであったり、製作者が意図していないところで不気味さ、怖さが滲み出ていたと思うんですね。
いわゆるお化け屋敷的な怖さでは無く、「なんでそうなる?」と思わざるを得ない、じわじわ来る恐怖というか。
↑なんで洞窟の中に鉄で出来たエレベーターがあるの、とか
↑水中ステージ特有の怖さは、奇妙な夢を見ている時の感覚にも似ています。
こういう意味不明な設定にそそられたり、ゾクッと出来る感受性だけは将来歳を取っても忘れないようにしたいものです。
ドンキーシリーズもそうですが、マリオ、ポケモン、ゼルダ等、当時のゲームにはこうした要素が溢れていました。
ゲームをあまりやらなくなった今、この「なんでそうなる?」という得体の知れなさをアートに求めるようになった気がします。
だから、この逗子アートフィルムに漂着したのもまた必然だったのでしょう。
実験映画もそうですし、いわゆるカルト映画もよく見ています。
(鉄男、追悼のざわめき、イレイザーヘッドetc)
一見、得体の知れないものを見てしまったようで、それを紐解いてみることによって根底にある「混沌、沸き立つ興奮に満ちた釜」が見えてくる。
ゲームに触発されてアートに目覚めた人、僕らの世代なんかでは意外と居そうな気もしています。
僕とほぼ同世代の本藤さんも、ゲームでアートを感じた経験はありませんか?
PS
この往復書簡も含め、本番の様子などは是非記録しておきたいものですね。
この往復書簡も、それなりに自分と向き合いつつ労力も使いましたし…(笑)
宮田涼介 / Ryosuke Miyata
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本藤太郎/Taro Motofuji a.k.a Yes.I feel sad.
逗子生まれ。日本大学藝術学部写真学科卒。カメラマンとして撮影現場を奔走する傍ら2016年より美術活動を開始。写真作品を中心に舞台やインスタレーション、楽曲や映像等を制作し国内外のアートフェアや地域アート等で発表している。 ZAFには2013年の「逗子メディアアートフェスティバル」の頃から雑用として関わっており、2017年には作家として参加。今日も眠い。
https://www.yesifeelsad.com/
https://www.instagram.com/taromotofuji/?hl=ja
宮田涼介
神奈川在住の音楽家。ピアノ楽曲や電子音響作品を中心に、国内外でアルバムを発売。また、カフェやWebコンテンツでのBGM制作、シンガーへの楽曲提供・編曲を行う。
http://ryosuke-miyata.com/
https://www.facebook.com/ryosuke.miyata.music/
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2020年10月10日(土)「螺旋の映像祭」開催!
逗子文化プラザ さざなみホールにて
https://note.com/zushi_art_film/n/n502ed347ee86
逗子アートフェスティバル公式ウェブサイト
https://zushi-art.com/
▼これまでの逗子アートフィルムの活動
逗子アートフィルム 沖啓介 現代美術オンライン特別講義
第1回「ウェットウェア、ドライウェア」
8月22日(土) 20:30~22:00
https://artfilm-oki1.peatix.com
第2回「アートが神経を持ったら」
8月29日(土) 20:00~21:30
https://artfilm-oki2.peatix.com
第3回「月は最古のテレビ」
9月5日(土)20:30~22:00
https://artfilm-oki3.peatix.com