車の話もしくはどうでもよくなった話
久しぶりに友達と、わたしの車で出かけることになった。
わたしは、ねこの通院と自分の通院と仕事の備品を買いに行く、以外の目的で運転しない。というポリシーを持っている。
なので、わたしの車で出かける時も運転するのはわたしではなく、そうなるとさすがにこのままでは申し訳ないかもと思うくらいに車が汚い。
車が汚いことについてわたしはまったく気にしていない。どれくらい気にしていないかというと、自分で洗車したことが20年に一度しかない程度には気にしていない。
ただわたしの車が20年間で一度しか洗われていないのかというとそんなことはない。馴染みのKモータースが点検のたびに洗ってくれているのだった。
Kモータースは今は亡き父親の馴染みで、車を買う時も相談に乗ってもらった。
地元に根ざす家族経営の自動車修理と中古車販売の会社だった。
免許を取ったのが遅かったわたしは、初めての自分の車ということで恐ろしいほどの夢が広がっていた。
ヨーロッパの車がいい。ちょっとカクカクッとしていて後ろは観音開きになるやつがいい。色はベージュがいい。ああ、これこれ。ルノー4?うん、これ。え?もう作ってないの?じゃあ中古でもいいよ。
わたしの希望を聞いたうちの父親と当時Kモータース常務だった二代目は開いた口が塞がらない様子で、しばらくルノー4が載っているページを見ていた。
無知というのは恐ろしいものだ。
今ならわかる。
免許取り立てで車にも機械にもまったく興味のない人間がそんな車に乗ることの無謀さが。
父親と二代目の猛烈な反対もあって、結局当時発売になったばかりの丸っこい日本車が今も乗っているわたしの愛車となった。
それからしばらくして父は亡くなったので、今となってはなんとなく父の忘れ形見のような感じもあるのだけれど今回はそんなちょっといい話がしたいわけではなく。
問題はKモータースの二代目だった。
いい人だと思う。
いい人?そうかな…どうだろう、悪い人ではないと思う。
ただちょっとズレている。
走っていてヒュンヒュンと異音がするようになりみてもらったことがあった。
電話でわたしは「走り出すとヒュンヒュンと音がして気になる」と言った。「タイヤの回転音ではないと思う」「窓を開けると音がはっきり聞こえる」とも言った。
二代目は「ははーん」と答えた。
そして「エンジンはかけました?」と言った。
エンジンはかけました?って走り出すとって言うとるやろがい、と言いたいところをぐっと堪えて、かけましたよ、とわたしは答えた。
すると二代目から「ははーん、要するに走り出すと音がするんですね?」とまるで要していない返事が返ってきた。さすがにこの時は「さっきからそう言ってる」と答えた。
ちょっとはハッとするかなと思ったがまったくそんなこともなく「そういうことですかー」と二代目は電話の向こうで納得していた。
なにがそういうことなのか、さっきから1mmも話は進んでいない。
翌日、二代目は車の様子を見にきてくれ「ちょっとそのへん一周して来ますわ」とわたしの愛車に乗って颯爽と出かけていった。
そして15分後、戻って来た彼は諭すように
「リリコさん、タイヤが道路と接すると音がするんですよ、タイヤって回転するでしょう」
とわたしに告げた。
いや、そうじゃなくて。
道路と接すると音がするんですよ、じゃなくて。
タイヤって回転するでしょう、じゃなくて。
わたしはもう一度、タイヤの回転音ではないこと、ヒュンヒュンと明らかに違う音がすること、を説明した。電話で話したことと一言一句同じだった。
二代目は顎に手を当ててうんうんとうなづいて聞いたあと「ははーん、そういうことですか」と言った。
その言葉はもうまったく信用できなかったので、わたしは二代目を助手席に乗せてご近所一周の旅に出た。
走り出してすぐ窓を開け「ほら、この音です」と言うと二代目はしばらくピンとこないようだったがしばらくして「はいはい、そういうことですか!」と言い「ヒュンヒュン音がしますよ!」と言い、調べてみますとわたしの車に乗って帰っていった。
二代目はそういうひとだった。
でも二代目のお父さんである初代はとてもテキパキとしたおじいちゃんで、二代目が忙しくて電話に出られない時なんかはとてもラッキーだった。初代が相手だと話がサクサク進む。
そして時は流れて、いつしか二代目が社長になり初代は隠居の身となった。
でも手が足りない時には初代がやって来る。
アマチュアおじいだった初代は歳を重ねてベテランおじいになっても二代目より話が早かった。
一昨年の夏。
わたしはバンパーのあたりをガッコリとぶつけた。
まごうことなき自損。
車が汚くても気にならないわたしでも、ひとめでさすがにこりゃあかんわと凹むほどの傷だった。
保険会社に連絡し修理はKモータースに頼むことになった。
修理箇所は、フロントバンパー、フロントグリル、そしてフェンダーにまで及んでいた。なんというか、車を正面から見ると鼻の下あたりから顎が外れた時にカクッとなる部分全体というか。
いや車の鼻ってのがまずわからんかもしれんけど。あと顎が外れた時にって皆さん当然顎くらい外れたことありますよねみたいに言ってるけど大丈夫だろうか。
さて、翌日。
やって来たのは初代だった。最後に会ってから数年を経てベテランおじいはおじいのプロになっていた。
「ダイシャで行く」と電話で言っていたのでてっきり代車だと思っていたら、台車だった。台車?正確に言えば積載車というやつ。
「代車で来るかと思った」とプロおじい(プロ彼女みたいだな)に言うと、わたしの車を見て「こんなもん乗れすか!」と吐き捨てるように言われた。
(乗れすか=乗れるわけないだろう、え?!乗れるとでも思ったんか?!の名古屋的表現)
うちの横の一方通行の道路に停められた積載車にわたしの車が粛々と乗せられた。
わたしは少々しんみりした気持ちでそれを見ていた。
ああドナドナされてゆく。
もっと丁寧に乗ってあげればよかった。
1週間もかからず帰って来るのにまるで廃車にでもなるかのような勢いで後悔の念がこみあげた。
ひとりでやってきたプロおじいは積載車の上でわたしの車を固定し、うしろからよっこらせと降りた。
そして積載車の運転席のドアを開け乗り込もうとした時だった。
ゆらりと積載車が動いた。
じりじりと後ろに下がっている。
「ああっっっ!」
わたしの声にびっくりしたプロおじいはドアに体重をかけて後方を確認しようとしたんだと思う。
ドアがバーンと全開になった。
おじいが掴まったまま。
開いたドア。
ドアにぶら下がるプロおじい。
じりっと下がる積載車。
スクリーム状態のわたし。
スキマスイッチの「奏」の2サビか。
下がったのは多分15cmくらいだったと思う。
後輪が縁石ブロックにずりりとなって、積載車はそのまま停まった。
プロおじいはその隙に運転席によじ登りサイドブレーキを引いた。
「サイドブレーキが甘かったわ」
すみませんすみませんと言いながら降りて来た初代はぺこりと頭を下げた。そして、何事もなかったかのように、じゃまた連絡しますわと言って今度こそ本当にわたしの車はドナドナされていった。
どうか無事に戻って来ますように、と両手を合わせて見送ってしまったが今考えたら縁起でもなかったかもしれない。
その後プロおじいは本格的に引退したようで、それ以来顔を見ていない。
そのかわり毎回二代目社長がやって来る。
電話をしてから来いと言ってるのに電話に出るともううちの前にいたり、11時の約束なのに11時に向こうを出たり、もういいからうちに着いたら電話を鳴らしてくれと言ったのに「今から出ます」と電話をかけてきたり、まあ相変わらず意思の疎通ははかれていないがもうどうでもいい。
トシをとると、大抵のことはどうでもよくなる。
なんの話だったっけ。
そうそう今回のお出かけ。
結局、車は洗わなかった。
なぜなら前日に大雨が降ったから。
この積み重ねで20年。きっとこれからもそうする。
Kモータースが洗ってくれるのを信じて。
*トップの画像は二代目社長と接している時の遠い目をしたわたくしのイメージ。
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