想像と創造


こんにちは、
暖かくなってきましたが夜はまだ肌寒いですね。


最近、日本語について感心するところがあったのでノートに書いてみます。

予備情報として世界の数ある言語の中で、
日本語はハイコンテクスト言語と言われています。

これは、文字そのものが持つ記号的な意味以上に、その背景が豊富であることを指します。

わかりやすい例だと、愛してる。を、

日本語は、月が綺麗ですね。

英語は、I love you.


この日本語の感覚が疎いと、
愛しているなら愛してるって言えば良いのに!
WHY!?ってなるんです。本当に。


1から10を伝えられるのが日本語で、
1を1と差異なく伝えるのが英語かなあと、
個人的には感じています。


要するに、日本語は言葉に、記号以上の情報を含むことができる。そしてそれを伝え合うことができる言語だということ。


それが情緒であり、風流であり、雅であり、
つくづく美しい言葉だと惚れ惚れしますね。


ちょっと前置きが長くなりましたが、
本題にはいります。


想像と創造、どちらもそうぞう。と読みます。


この世界にあるものは、
誰かが意識で想像したから創造されたもの。

たとえば、iphone。

ジョブズがこれ作りたいと思ったから、
物質として具現化したんですね。


100均に並んでる便利グッズなんかもそう、
こういうのがあれば良いのに〜っていう想像から形になる。



つまり、想像して何かを思い描くことは、
創造と同じなんです。


それが想像/精神的なものか、
創造/物質的なものかの違いであって。
もう頭に描いた時点で作り出されているんですよ。



ああ、だから、そうぞう。

同じ"音"をこの言葉にしたのか。


だから、漢字はこう表現するのか。





と、この言葉だけでも、昔の人の感性が垣間見える。




数百年、数千年前から脈々と続く、
先人達の智慧のようなもの、その感性をこの言葉から感じ取ることができる。



もう、これは、とんでもない。
とんでもないことなんですよね。



英語は比較的最近できた言語なので、
どうしてもこうした背景が弱い。
だからビジネスで使いやすいという長所もありますが。


この日本語のそれはそれは豊かな背景は、
一朝一夕で出来上がるものじゃないんですよ。



その長い時間の中に人々の営みがあって、
言葉の交流があって、智慧があって、意識がある。
そういう積み重ねが言葉に詰め込まれている。

生きてるんですよね。


心から凄い言語だなあ、ってため息がでます。



どうしてこういうことを、
国語や漢字の勉強で伝えずに、
英語ばかり取り沙汰されるのか。


ただ、機械的に漢字を何回も書かせたり、
テストするばっかりで、
何の意味も見出せないから面白くない。
(私は面白くなかった)



機械的に何百と書くより、
その成り立ちや背景を教えて、
例文を想像して書かせた一回の方が子ども達は吸収しますよ。


教育って一体、何なんでしょうね。
何を教えて育んでいるのか。



最近のちっちゃい子たちは、
英語教育を熱心にされているようです。
グローバリズム=英語と考える親も多いようで。


言語学をかじった私にしてみたら、


日本語を学んでから英語を学んだ方が、
その子の情緒や感性、
果ては人生が豊かになると考えています。



言葉が人生まで左右するかよ、
なんて思う人もいるかもしれませんね。


するんですよ。




だから戦勝国が植民地にした国は、
子ども達の言語から変えていく。
今までその地で培われてきた言語を禁止する。


これがどれだけの事か。


まだまだ書きたいことがあるけれど、
指が疲れてきたのでまた次回に。


日本語についてでした。つづく。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?