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私達女性はきっと仲良くなれる。子供の話さえしなければ





ふと思う。

育児の持論は、政治や宗教に近いくらいセンシティブな話題かつ不毛な議論ではないかと。

自分より大切な存在について、家族以外の他者と喜びと苦しみを本心で共有したいという事に無理があるのではないかと。

子供の個体差と保護者のあらゆるバックボーンや思想を無視して、正解が分からない育児に何が正しいか悪気なく無意識にアドバイスをしたりされたりする状況って世の中に溢れている。(自分も無意識にしてる)

例えば、赤ちゃんが泣く度に抱っこしてる母親に対して「毎回抱っこしていると抱き癖つかない?」とアドバイスを受けると自分のやり方が悪いのかと否定してしまうだろう。

23時に寝かしつけしてるワーママに21時までに寝かしつけは難しいの?とアドバイスすると自分の仕事を否定された気持ちになり、働かざるを得ない経済状況を理解してもらえず苦しみを感じるかもしれない。

たかがたった1つの育児に対してだけど、母親がその選択肢を選ぶにあたり様々な背景や子供の個体差があるのだ。

そもそも、世の母親は自分より大切な存在の我が子の為に、与えられた環境で試行錯誤しながら子供自身の特性と向き合い、何が最善か沢山悩んで日々実行してる。子供に少しでも多く幸せな未来がきますようにと願いながら。

ただ、当たり前だが子供は自分の所有物ではなく自分とは別の人格であり、コントロールできない存在だからこそ時には苦しめられる。

ある母にとっては子供は自分にとって誇りであり、別の母にとっては大切な存在ゆえに子供が自分の弱点だったりする。

両者とも自分の育児は間違い無かったと信じたい。

母親にとって子供に纏わる事を否定されるのは自分を否定されてるように錯覚し苦しいものである。

しつこいが何度も伝える、子供と自分は別の個体だ。子供を否定されたからといって自分が傷つく必要はないのだ。

だけど、それでも、子と母は決して他人になることはできない。

1つの生命体を地球に誕生させたからには、子に纏わる様々な責任をとる必要があり、別の人格だと思いながらもお腹の中で育てて産んだ我が子はやはり自分の分身のように感じてしまう。

だから時には苦しみ、辛いのだ。

訂正する、子と自分は別の人格だとやはりそんな簡単に割りきる事はできない。

私たち母親の気持ちは一筋縄ではいかない、本当の意味で誰にも理解してもらえない。とてもとても複雑で難解だ。

他人の子の話を、どうしても、無意識に自分の子に置き換えて、自分の子よりマシかマシじゃないかと判断しならがら聞いてしまう。

そして時には、羨ましいと思ってしまう、苦しんでしまう、悲しんでしまう。

共感が大好きな私達なのに、他者に共感を求めれば求める程、孤独を感じ、時にはいがみ合ってしまう。

なぜなら、我が子の事を心の底から愛しているから。


だったら最初から子供の話は情報交換くらいに留めておいた方がいいのではないだろうか。

あるいは、子の共通点を探さず、[自分の事より大切な存在がいる]という事実のみで心の中で同志になるのはどうだろうか。

私達女性はユーモアを交えたパートナーの愚痴、スイーツの話、健康の話、昨日見たドラマの話、レジャーの話などで時間を過ごした方が良好な関係を築けるのではなかろうか。

話がかなり脱線する

先程、世のお母さんは頑張ってると申しあげたが世の女性は不安定なホルモンバランスの中、徐々にくる老いを抗いながら皆頑張ってる。

独身も既婚も子の有無も関係なく。

個人差はあれど、定期的に訪れる生理の前から不調があり生理中は絶賛不調中。

身軽な日って月に何日だろうか?

母によると生理を卒業しても更年期もしんどいらしい。

月経が訪れるというハード条件の中、勉強、家事、仕事、育児、介護など人により様々な役割をこなしながら、本当は繊細だけどしぶとく強く生きている。

前置きがかなり長くなった。つまり、何が言いたいかというと

独身も既婚も子供の有無も関係なく、いがみ合ったり嫉妬する必要はなく、相手を尊重しながら、くだらない話をしながら、心地よい距離感で仲良くしたいのです。

だって私たち女性は大切な存在を抱え、常に不調と戦う同志なのだから‥




#創作大賞2024 #エッセイ部門

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