子どもが生まれたときのこと
結婚して、すぐに妊娠した。
夫は、会社の人間関係で悩み、私のお腹に子どもができたというのに、毎日暗い顔をしていた。
私たちは、賃貸マンションの四階に住んでいた。
お腹が大きくなってきた夏のある日曜日、ふと見ると、夫が窓から飛び降りようとしていた。私は部屋の中を猛然とダッシュして、夫の片腕をつかんで思いっきり引っ張った。夫が振り向いた。表情がない。目が合った。私たちは見つめあった。私は夫の腕を引っ張り続けた。夫は飛び降りるのを諦めて部屋に戻ってきた。
「飛び降りたらだめ」
「もういいんだ」
「子どもはどうなるの」
「ぼくは心に問題がある。親子関係と新興宗教の影響でボロボロなんだ。だから仕事もうまくいかない」
「心なんて治せばいいじゃない。自殺なんかしないと約束して」
「本当にごめん。自殺はしない。約束する」
窓の外は綺麗な初夏の夕焼けになっていた。
キッチンで夕飯の片づけをしながら、夫は自殺しないと約束したけど本当に大丈夫だろうか、と少し心配してみようとしたけど、きっと大丈夫、なんとかなる、という明るく力強い考えがお腹から伝わってきて、心配する気が起きない。大丈夫、きっとなんとかなる。
そういえば、お腹が急に動いて、びっくりしたタイミングで、視界に夫が飛び降りようとする姿が入ったのだ。そして、夫に向かってダッシュしたときも、お腹の重みがダッシュの加速にちょうどいい感じに収まる感じがあった。お腹の子どもが気づかせてくれて、走らせてくれたのだ。大丈夫だ。なんとかなる。
夫は、カウンセリングを受けると言って、どこかに予約を入れ、休日のたびに、一人で出かけて行った。数回で六万円払った。
「時間はかかるが治るということだった。後は自分でやる」
と夫は言った。その後、夫は心理学や精神医学の高い本をネットで買っては、読んでいるようだった。
臨月になった。生まれそうになったら、病院には、夫がいるときは夫に車で乗せて行ってもらい、いなければタクシーを呼ぶことに決めた。
ある夜、夢を見た。
私は野原を歩いていた。雲一つなく晴れ渡っているのに、柔らかく温かい雨が静かに降ってきた。とても気持ちがいい。だんだん雨の音が聞こえてきた。その音はだんだん大きくなっていった。そして、いつの間にか、その音は、赤ちゃんの産声に変わった。どんどん産声が大きくなる。おぎゃー、おぎゃー。大音量に包まれる。鼓膜が痛くなる感じではない。頭の中に直接聞こえてくる。どんどん大きくなる。もはや産声ではなくなっている。わあー、という大きな声が、空から、森から、大地から、響いてくる。空がどんどん明るくなり、あたりが光に包まれ、森や野原が視界から消えていく。まばゆい光と、響き渡る声のような音の世界。とても気持ちがいい。すべてが一体になって、生きる喜びに溢れている。やがて音は静かに消え、まばゆい光の世界になった。一瞬、命そのものを見たような気がした。そこで目が覚めた。朝になっていた。
夫は先に起きて本を読んでいた。
「おはよう」と私が言うと、
「今日不思議な夢を見たよ」と夫が言った。
野原を歩いていたら、晴れているのに温かい小ぬか雨が降ってきて、だんだん音が大きくなってきたと思ったら、赤ちゃんの大きな泣き声になっていて、その声がわんわんと響いて、周りの光がどんどん明るくなってきて目が覚めたという。
「赤ちゃんの泣き声なんて最近どこでも聞いていない。この夢は記憶の再生じゃない。子どもが、もうすぐ生まれてくるってことをぼくに伝えてくれたんだ」
その三日後の早朝、破水した。
私が起きると、夫はすでに起きていて、出かける準備を済ませていた。
「夢の中で子どもが起こしてくれた。あと、ぼくは、ぼくの運命をしっかり生きるよ」と夫は言った。私はうなずいた。
「さあ、病院へ行こう」
早朝なので道は空いていた。雲一つない晴れだった。
病院について、少しして分娩室に入ってから、一時間くらいで生まれた。夫も立ち会った。子どもは元気な産声を上げた。夢で聞いた声と同じではなかった。
夫の方を見ると、いつもの暗い無表情な顔になっていたけど、ほっとした様子だった。大丈夫。なんとかなる。私は夫に微笑みかけた。
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