久々思い出した劣等感
そういえば、私は前から劣等感が強かったな。
もうすぐ受ける会社の試験で、内容にグループワークがある。
部でこの練習をし、全然話せずチャレンジもできず、自分に嫌気が差しながら帰った帰り道、ふと思い出した。
私は「話すこと」に昔から苦手意識がある。
特に人前や集団の中で、アドリブで話すとき。
頭の中で「私の意見は正しいか?」「不適切な表現はないか?」などと、色々考えた後じゃないとなかなか発言できない。
常に自分の意見に、自分に、自信が持てないのだ。
それは会社でのことに留まらず、
親しい人だけの安心な場以外は、
軽い友達や先輩たちとの飲み会とかでも同じである。
「私が今話して迷惑じゃないかな」「これ聞いておかしくないかな」など、色々考えないと、なかなか話し出せない。
話をふられてぱっと気が利いたことも言えないので、ノリも悪い。
そうして話せないと、「私楽しんでないように見えるかな」「気を使わせちゃうかな」と心配になって、勝手に申し訳ない気持ちでいっぱいになることもしばしば。
準備して練習して臨んだプレゼンとかなら、それが自信となるから怖がらずできて、褒められるくらいなのに。
だからその部分だけ見て誤解されて、失敗したりもした。
話すことは日常だ。
話すことに苦手意識があると、もう自分自身が嫌になって、それが劣等感につながっていたように思う。
それが学生時代からの私だった。
でも
最近はそれを忘れていたことに気づいた。
安心できる家族や友達、職場、恵まれた環境に囲まれて、もちろん話すことの苦手意識は変わらずあったけど、それが劣等感にまでつながることは最近はなかった。
むしろ、色々上手くいきすぎて、「私ってやっぱりできるな」と、浮かれている時期もあった。
そして今、
久々思い出した、劣等感。
私ってそういえばできない人間だったよな、元の能力が低いから、みんなよりも努力しないと、みんなと同じになれないんだった。
この気持ちを思い出した。
それで、話すことに全く苦手意識がない夫に、皮肉っぽく「夫はいいよね」と言ってしまったりもした。
夫はいいよね、特に努力しなくても、仕事できてみんなに愛されて飲み会とかでも人気者で、私と違って、いいよねって意味で。
夫だって頑張ってるのに、辛いことだってあるのに。
良くないことを言ってしまったりもした。
そんな状況でマイナスな感情になることが増えたけど、でも、その感情に支配されずに済んでいるところに成長を感じたりもしている。
うまくいかなかったグループワークで、「この部分は良かったかも」と、なんとか良い部分を探してみたり。
今日も、自分から練習したいと同期に伝え、予定になかったグループワークに参加させてもらった。
やっぱり全然だめだったけど、嫌なことに挑戦したことが偉いよって、自分を褒めてあげたい。
どんなにできた人間に見えても、苦手なことって、たぶん誰にでもあるんだよね。
私だけじゃ、きっとない。
苦しいけど、この苦手をなんとか克服しようと努力して、自分の成長につなげたい。
p.s.
画像は今日同期が撮って送ってくれたもの。
いつでも落ち着いてて、いつも寄り添って話を聞いてくれて、同期だけどお姉さんのような尊敬する存在です。
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