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V炎上について。嫌な予感が当たった。

今年の1月に深夜テンションでこんな記事を書いた。

ようは宝鐘マリン船長にブヒブヒしてる記事なのだけど、少し冷静になってきた末尾の方でこう書いた。

名実ともに大御所Vtuberとなった彼女が突然燃えないことを祈るのが”ワードチョイス”。

そんでもってこう書いた

時々ドキリとする言葉選びをする彼女を見て、何事もなく過ぎてくれ…と思ってしまうときがあります。

だからこそ、ある意味、今のこの状況はあまり不思議ではないし、今回の事件に関して詳しく触れる気もないのだけど、炎上の過程を見ていて、Virtualであることでもたらされる大きなメリットがあると同時に、ひとたびこうした事案が発生するとリアルタレントとは異なる”燃えやすさ”や”消火のしづらさ”というものを抱えている気がした。(内容如何は置いておいて)。

特に、ここ1年位のVtuber界隈に対して思うのは、ガワ(アバター)はいわゆる広告であり、コンテンツはその中の人(ライバー)個人に注目が集まっているという点だ。草創期のVtuberのスタンスであった仮想の存在という体裁は今や全くと言っていいほど重視されていない(ように感じる)。むしろアバターのその向こう側に見え隠れする生身の人間臭さが面白さとリアリティを生み出し、数多いるVtuberに個性を与えているという構図になっているのではないか。

ただ、ここが厄介なところで、ガワはあくまでイラストであるVtuberは直接リアルの人間を対象にするときに比べ(攻撃)対象としての心理的ハードルが低くなる。つまり、炎上が過激化しやすい。(事の正否とは関係なく)
だが、Vtuber自身が前述の通り、中の人のパーソナリティをコンテンツの1要素としている以上、そのパーソナリティを単純に制限することは、そのVtuber自身のコンテンツを陳腐化させることにもなってしまう。
一方でここは、今後登録者数100万人級のVtuberが増えていくVtuber事務所が本気で考えて行かなくてはいけないタレント(ライバー)マネジメントの腕の見せどころであり、早急に整えていかなくてはいけない所である。いわゆる古い業界のような厳しい縦割りや下積み、暗黙の了解といった”業界ルール”のような物がいい意味でも悪い意味でも存在しないので、どうすることでライバーのリスク管理やコンプライアンス意識の向上、または後ろ盾を作っていけるのかそういうフェーズに入ってきている。

更に、いやらしい視点で見れば、活動の拠点がYoutubeに縛られていることもこういったケースでの体外対応(クライシス・コミュニケーション)のしづらさにつながっている。例えばキー局のテレビに出られなくなったタレントが、オフエアの地方営業に回ったり、ローカル番組の出演に力を入れる、もしくは紙媒体にうつる、もしくはそれこそYoutubeに活動の拠点を移す…のように一時的な隠れ蓑であったり、新たな支持獲得基盤に移る手段があるが、現状、Youtube(動画配信プラットフォーム)に依存せざる得ないVtuberはそれができない(難しい)。

今後もライバー自身の個性を活かすのであれば、その持続可能性をどう高めていくのか。また、その結果如何で、今いるVtuberという存在の”寿命”にも影響してしまうかもしれない。

駄文以上。



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