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窓ガラスに激突しても平気な顔をしていた父を見て、気づいたこと。

 私の子供たちがまだ小さいころ、東北のほうで一人暮らしをしている父に会いに行った。
子どもたちを遊ばせるところを探していた昭和の父は、ボウリング場をチョイス。
父の住む町、つまり私の実家周辺で唯一の大きなショッピングモールの中にある。

 子供たちは、いつもと違う風景に喜びながら、父の運転する車に乗っていた。
「駐車場に車を停めて行くから、先に行って待ってろ」
そう言う父の車を降り、ボウリング場へ走って向かった。
中には、クレーンゲームやガチャがあり、大喜びの子供たち。

 少しして外を見ると、ジャケットにハットをかぶり、いつもよりちょっとおしゃれした父が歩いてくるのが見えた。
少し猫背で、右に小首をかしげながら急ぎ足で向かってくる父。

あれっ? と思ったときには
ゴーン! と、ガラスに激突していた父。
目の前のウインドウに全く気付かず、父には、透明の奥にいる私たちしか目に入っていなかった。

(ええぇぇ!? ガラスに顔のあとが残ってるし、あれは痛いよね。周りの人もびっくりしてるし、うわー、恥ずかしい。他人のふりだな、これは。)

そんなことを私が考えているなんて、つゆほども知らず、なにごともなかったような顔をして、自動ドアから入ってきた父。
「大丈夫? 痛かったでしょ。」
一応声をかけると
「だいじょうぶだぁ~」
おどけた父の応え。
(うそだぁ。ぜったい痛かったくせに。あとで青タンになるよね。でも、大事にならずに済んでよかったね。)

 ガラスに激突した父を見た衝撃は、今でも忘れない。たぶん一生。
その記憶が、高校生だった頃の私をまた思い出させる。

 高校2年の冬だった。
登校途中の道で、私は転んだ。
後ろを歩いていたスーツにネクタイの人が、「大丈夫ですか。」と
じっとこちらを見た。
「大丈夫です。」
(うっわー、恥ずかしいよ。見ないでよ。余計なお世話だゎ。)
すっごく膝が痛かったけど、まったく問題ありません、という顔で即座に立ち上がり、歩きだした私。

 どんなときも「大丈夫か」と問われると、私たちは反射的に「大丈夫」と反応する生きものらしい。

ありがとうございます。優しさに触れられて嬉しいです。頑張って生きていきます。