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父の遺品はおやじギャグ⁉

 父が亡くなって10年以上が経つ、と、これを書き始めて気づいた。
ずっとずっと、いつも父に見張られているような気がする。
よく言えば、父がいつも傍で見守ってくれているような…。
いや違う。
父という踏み絵のような、悔しいけど越えられない山のような、もやもやとした閊えが、ずっと私の中にある。

 気が付くと、近くにいる男性を父と比較している。
ファザコンか、と苦笑し、なぜか悲しくなる。
父は、本が好きだった。
時間があると、6畳間の窓際に置いた座椅子で、眼鏡をかけて読書。
私も本が好きになった。
でも、私が好きになった男性は、読書好きなんて一人もいない。

 もやもやとした閊えを、取っ払おう。
父の遺品、かたちあるものは全て処分した。
私の中に散らばって、かたづけられずにほこりだらけになった父の記憶を、ひとつひとつ取り出していこう。
記憶の断捨離。

 取り出す順番は、めちゃめちゃかもしれないけど、これから全部かたづけていくんだ。
それが終われば、やっと自分の人生と向き合える気がする。
よーし、がんばるぞぉ。

 父は、東北訛り。私にとっては、ここちよい言葉たち。
普通のときは、よく笑えないギャグ?を連発していた。
「い」は「え」、「き」は「ち」と発音する。

 「飛行機、キラキラ、一機」が
「ひこうち、ちらちら、えっち」
父はこのフレーズが好きで、何度も聞かされた。

 雨が降り出した空を見て
「あ、また降ってきたね。」と言うと
「マタは降らねーべ、そんなの降ってちたら大変だぁ~」
と、ニヤリ。
調子のいいときは、いつもそんな感じだった。

そんな”遺品”が、私のなかにたくさんのこっている。

ありがとうございます。優しさに触れられて嬉しいです。頑張って生きていきます。