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携帯電話の音に怒る人 を見下す人

先日、公演中の静寂の中で携帯電話の音が鳴り響くというハプニングに遭遇した。
6日間連続で通った「神田伯山新春連続読み『畔倉重四郎』2024」名古屋公演の千秋楽でのこと。内容の感想は毎日書いていたので、携帯電話が鳴ったタイミングの詳細も以下の記事に書いてある。

端的に言えば、シリアスで静寂さが張り詰めたシーンに差し掛かった場面で、携帯電話の「マナーモードにしてください」という音が数度繰り返して流れたという展開だった。

その出来事があった後、伯山先生がXにポストした内容がまた衝撃だった。

アンケートにこんなことを書く人がいるの?と猛烈に腹が立った私は、いてもたってもいられず、上記のポストを引用して以下のように書いた。

私個人としては、携帯電話が鳴った時点では、間違いなく鳴らした人に腹を立てていた。初日から散々と言って過言でないほど携帯電話の電源を切るように言われ続けていたからだ。マナーモードではなく電源を切るようにとも言われていた。当日だけ来た人だとしても絶対に一度はこのアナウンスを聴いているはずだ。腹立ちと残念さとその他さまざまな気持ちが駆け巡ったこの日の私は、アンケートの感想に「本当に名古屋の客が申し訳ありませんでした」などと書き倒す羽目になった。名古屋を愛する名古屋出身の人間には、本気で恥に感じられて恥ずかしかったのだ。
ただ、大団円を迎えて帰路につく間に考えた。携帯電話を鳴らした人が悪いとはいえ、人間誰しもミスはするものだ。どれだけ気をつけていても、自分が今後も100%鳴らさないという保障はない。今回鳴らした人が、ただ手間を惜しんだなどの浅はかな理由で電源を落とさなかったのならば怒らずにはいられないが、何か事情があったのかもわからない。何も知らないのに、鳴らした人をやみくもに悪人扱いするのは、同じ観客の立場からは出来ないと思った。
伯山先生のポストへの反応で、鳴らした人への非難が殺到していたが、中には「そんなのは締め出せ」や「出禁だ」といったものもあり、それは過激すぎでは?と感じずにはいられなかった。言っていいのはその時に舞台側にいる人達だけではないか。

しかし、携帯電話が鳴ったことを注意する演者に対して『携帯鳴らされて同情しますけど、あんなに怒んなくても。もっと大きい人になって下さい。』なんて感想を書く客への腹立ちは止められなかった。「あなた自身が気にならないのは良かったねってだけの話だけど、演者にそんな物言いをするのはどういう了見?真剣に観てたらそんな感想は絶対に出ない状況だったが?」などと“感想返し”でもしてやりたくて仕方がない。
自分がポストした内容も、鳴らした人に向けて書いたものではない。上記の感想を書いた客に向けて「こっち(観客)もむこう(伯山先生)もこのくらいの熱量でやっているのを分かれ。馬鹿にするな」という意味で書いたものだ。中には「信頼関係を返せ」という文言について「恐ろしい」と反応している人がいたが、私としては、目に見えないはずの“信頼関係”というものが目の前でガラガラと音を立てて崩れ落ちるのが見える、という状況をあの場で初めて体験した。まあ確かに、前日の5日目までに、毎日通いつめた人と演者との間にそこまで高い信頼関係が築かれていたことは、ある意味恐ろしいかもしれない。あのガラガラと音を立てて崩れた光景は自分の気のせいだったのかも、とも考えたが、後に伯山先生がラジオでもこの時の状況を語り、信頼関係が出来ていたのにと話していた。きっと気のせいではなかった。もしかしたら他の観客にも同じ景色が見えていたかもしれない。
そうした状況の中に一緒にいたにもかかわらず、携帯電話の音がどれだけ世界観を壊したかも理解せず「もっと大きな人になって下さい」とぬけぬけと言えてしまう人とは、同じ空間に居たくなかった。この人の小ささを受け止められるほどの大きな人は存在するのだろうか。

器が大きいか小さいかの尺度で話をするなら、あの時の伯山先生の対応は本当に大きな人だったと感じている。普段なら音が鳴ってもよほど話を止めることはないところを思い切って止め、一言バシッと注意することで場を締め直して仕切り直し、再び全力の芸でもって観客を元の世界に引き戻してくれた。後に笑いを入れられる場面ですかさず笑いに変え“良い思い出”に昇華させてくれた。注意しない選択が取られていたら、その後ずっともやもやしたままの空気で進んでいただろう。汚れ役を買う形になってでも一言注意をしてくれて、そこでぐっと切り替えて読み続けてくれたのは、器が大きいからに他ならない。
何度も笑いにされたという点で、鳴らした本人がどのような心持ちだったのだろう?という心配はあったが、以下のポストを見かけて安心した。

鳴らしてしまった人が少なくとも「やってしまった」と感じられる人であり、ネタにされたことも拍手で気持ちよく受け入れられていたらしいとわかった時、自分の中でも6日間の『畔倉重四郎』は大団円となった。

鳴らしてしまった人には、今後も携帯を切るのを徹底しながら演芸を楽しんでもらいたい。だが「大きい人になって」と言ったような人とは、二度と一緒の空間で同じ公演を見たくない。自分が他の観客に何かを言える立場でないことは承知しながらも、そのように感じずにはいられなかった。


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