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ジョン・レノンに導かれて、音楽から美術教育へ


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2 はじめに:ジョン・レノンとの出会い

 私が初めてジョン・レノンの音楽に触れたのは中学生の時でした。ビートルズのファーストアルバム「Please Please Me」の最後の曲「 Twist and Shout」のボーカルに衝撃を受け、彼の生き方や思想に強く惹かれていきました。

 レノンを通じて芸術の持つ力に目覚め、やがて美術教育への関心が芽生えていきました。

3 ジョンの音楽と生き方から学んだこと

 レノンの音楽は、単なる娯楽を超えた強いメッセージ性を持っており中学生の私に強い刺激を与えました。

 彼の反戦活動や社会問題への取り組みは、芸術が持つ力と責任を教えてくれました。
 
 また日本人と結婚したことも、彼を身近に感じることの理由になっています。
 
常に新しい表現を模索し続けた姿勢からは、創造性の大切さを学びました。

4 家庭人としてのジョン・レノン

 ジョンは息子の誕生後、音楽活動から一時的に離れ、専業主夫として子育てに専念しました。ジョンは息子との時間を大切にし、家庭内での役割を積極的に果たしました。

 今では、政府が男性の育休取得率の数値目標を掲げていますが、当時としては著名なアーチストが育児に専念することは珍しかっです。
 
 政府は男性の育休取得率を2025年までに30%、2030年までに85%に引き上げる目標を掲げています。
 
 私も約20年前になりますが、次男誕生を機会に3ヶ月の育児休暇を取得しました。ジョンがいなければできなかった経験でした。

5 美術教育への関心の芽生え

 音楽から美術へと興味が広がる中で、子どもたちの創造性を育む美術教育の重要性に気づきました。

 ジョンが芸術大学で学んでいたことを知り、美術教育が人格形成に与える影響について深く考えるようになりました。

6 工学部から図工教員への転身

 美術教育への思いを実現するため、機械工学を専攻していましたが、進路変更をし、通信制大学で小学校教員免許の取得を目指しました。
  美術の専門的な知識はありませんでしたが、子どもたちと共に学び、成長したいという強い思いがありました。

5 まとめ

現在、図工の授業の課題は、「どう子どもたちの創造性を伸ばすか」です。

 レノンから学んだ「既存の枠にとらわれない自由な発想」を大切にし、子どもたち一人ひとりが表現することを楽しみ、社会に貢献できる力をつけたいと考えています。
 
 ジョン・レノンの音楽との出会いが、美術教育の世界へと導いてくれました。
  これからも、彼の精神を胸に、子どもたちの可能性を信じ、創造性豊かな教育活動を続けていきます。

#ビートルズ #ジョン・レノン #図画工作 #図工 #創造性


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