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【アルメニア】世界初のキリスト教国、アルメニアを旅した話

日本はいまだにC19に苦しめられているけれど、働きながらもそれなりに自由にやらせてもらっている。価値観は人によって違うから、自分の信念に基づいて生きればいい。
そんなことも言っていられない葛藤と、気がつけば流れていく時の狭間に焦ることがある。その一方で帰宅時間が早いと持て余してしまうことが悲しい。

せっかくLightroomを契約しているから、僕はたまに過去の写真を引っ張り出してレタッチして、ガラでもないのにインスタグラムに写真をあげて、ほんの少しのいいねでささやかな承認欲求を満たす。安いものだ。

決して能動的とはいえないインスタグラムのフィードで、たまたま、アルメニアの写真を見た。

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世界にはルワンダとかカンボジアとかポーランドとか暗い歴史を背負った国々が呆れるほどあるけれど、アルメニアもそんな国のひとつだ。正確には国というか民族というか。

WW1前とかにトルコがやらかした事態によって、アルメニア人は数え切れないぐらい命を落とした。

列強が引いた国境によって、アルメニアは心の拠り所であるアララト山をトルコに取られた。歴史や現代にはそんなことが溢れていて、本人たちにとっては本当にやるせないだろう。日本は島国でよかった、というのは自分がよければいいという考えなのかもしれない。島国であるせいで大陸の感情はちょっと遠いものになっているし、いろんなことから取り残されがちだ。

そんなことはどうでもいいんだ。

気がつけば僕も大人になっていて、引かれたレールを歩いてみたり、時に踏み外しそうになったりと、うまくいかないこともしばしばあって、だけどなんとなく割り切る力が身に付いて、いつしか周りからは「ポジティブ」とか呼ばれるようになった。ネガティブにいうとあまり先のことを考えすぎなくなったのかもしれない。

そんな僕がアルメニアに行ったのは2019年のお盆。24時間に満たない滞在時間だったけれど、行ったのと行っていないのとでは無限大に違う。そしてちゃんと宗教や歴史について学んでからいくと、思うことも違う。逆説的なのだけど、旅に行く前よりも行った後に大体のものに興味が出てしまうからのちに調べて「あの時なんであそこにいかなかったんだろう」ということもしばしばある。

僕のことはどうでもいいんだ。
アルメニアは世界で最初にキリスト教を国境とした国で、その歴史を脈々と引き継いでいる。SNSとかではリアルドラクエとか言われたりもするフィールドがあったり、石でできた修道院や黄金色の教会が輝く。ドラクエに喩えられてどんな気分かはわからないけれど、ポジティブにいえば旅のしがいがあるということかな。

僕はジョージアから鉄道でアルメニアに入った。
夜行列車ではアルメニア人のファミリーに囲まれて、全く会話が通じない中アルメニアの出身地の話を聞いた。アルメニア語かロシア語かわからないが、かつて戦争で大きく街が破壊された話をしてくれたことを記憶している。

アルメニアはアゼルバイジャンとはもちろん、ジョージアとも全く違う。アゼルバイジャンはペルシャな雰囲気が漂い、宗教もイスラムだ。ジョージアは正教ながらもトルコ的な印象もあった。
アルメニアは正教ながらもなんとなく東欧よりも西欧にも似たな小綺麗さがあり、雰囲気もより強いアイデンティティがある気がした。でもソ連の影響に怯えているのはバルト三国と似ている。
そんなアルメニアはナゴルノ・カラバフ地域を巡ってアゼルバイジャンとずっと紛争をしている。

この旅では、本当に時間がなかったからその辺にいた日本人とタクシーをシェアして一日中アルメニアを回った。クソ暑い夏の日で、外は39℃ぐらいだった。空調のないトヨタのタクシーに乗っている中でもペットボトルの水はすぐに飲んでしまうぐらいだ。

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当然ながら、何かしら言われのある修道院やら教会やらを周り、タクシーを値切りながらセヴァン湖というリゾート地に行ったりした。そんなタクシーは高速道路で130km/hを超える爆走をしていた。

海を持たないアルメニアにこの巨大な湖は国民の憩いの地だ。
でも、ビジネスが下手くそなのか、僕たちが行った場所が悪かったのか、ほとんどお土産もの屋さんもなかった。北マケドニアのオフリドの方が賑やかで気合いが入っていたな。

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タクシーをずっとチャーターし、アララト山が臨める修道院へ行った。つまり、向こうはトルコだ。

そこで、僕たちは結婚式の様子を見た。

子供たちが花びらをまき、(誰か忘れたけど)参列者にチョコレートを渡していた。幸せの破片をもらった。

旅に出て有名な教会とかにいくと結婚式とか儀式に出くわすのは珍しいことではなくて、マルタやジョージアでも結婚式を通り過ぎた。でも、なんだかアルメニアという国だと、もっと幸せな感じがする。安心できる気がした。

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今になっても僕は物事がうまく行かないながらも、大好きな仲間たちと旅に楽しんだり、プロジェクトを練ってみたり、山に登ってみたり、海に潜ってみたりと、尊いときを過ごす。
時は流れるんだ。どのように人生を暇つぶしすれば有効なのか、考えるんだ。人生に意味はない、意味をどう持たせるかだ。

首都のエレバンに戻り、夕食としてザリガニを食べる。翌早朝3時にゲストハウスを出てエレバンの空港に向かい、日本に戻らねばならないため、このザリガニとビールが短いコーカサスの旅の最後の晩餐だ(残念ながらアブダビで足止めを食らうのだが)。
もう一人知り合った日本人と改めてアルメニア名物を食べ、旅を締めくくる。

ふとカバンの中を見た。
水の入っていた空のペットボトルのラベルには、アララト山が描かれていた。
そして、修道院でいただいた幸せの破片は、すっかり溶けていた。

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