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能登で「ぬりもの」を作る素敵な人のお話

赤木明登さんの漆器はとてもシンプルだ。昔ながらの漆塗りのような艶はなくしっとりとした表情で、形も思わず手に取りたくなる自然な感じ。そんな素敵な器がどのように作られているのか、年の瀬も押し迫った2021年12月29日、能登半島、輪島市の山中にある赤木さんの工房を訪問してお話を伺ってきた。

きっかけは、個人的に伝統工芸の品物は美術品で、生活の中で使われることが少ないと感じていたところ、輪島塗を日用品として生活の中で使ってもらうための工芸品として製作されているというお話を聞いて、どうしても会ってお話を聞いてみたいと思ったのだ。思い立って、年の瀬で失礼とは思いつつ訪問を依頼した。「大掃除の日で作業は見られないが、それでもよければ」と奥様からご承諾いただいた。

ーおしゃれな工房から生まれる普段遣いの漆器ー
到着すると、薪ストーブのあるおしゃれなリビングに迎えていただき、お茶を頂いた。工房は大きな窓を配置した開放的な工房で、渋い色調の木造建築があたたかみを出している。紫外線を嫌う漆のため昔は蔵の中で作業したそうだが、こちらの工房ではUVカットガラスを使用することで大きな窓を配置することが可能になっている。
 赤木さんご夫妻は平成元年に現在の工房に移住し、平成6年(1994年)に独立。生活の中で使う漆器を作りたいと考え、その時すでに現在の普段使いとしてのシンプルな漆塗りを発表された。昔ながらのピカピカではない落ち着いた風合いは、下地の上に和紙を貼り、その上から漆を塗る方法により作られている。奥様いわく、バブルの時代には昔ながらの豪華な器が売れていたが、独立した94年はバブル後だったので、そういったシンプルなものが受け入れられたのではないか、と。またピカピカの器は、昔の薄暗い家の中では大変映えたが、現代の明るい家屋では美しくみえにくいということもあり、つやを抑えた赤木さんの器は人気となったようだ。

ーうつわ一つの完成まで3年ー
その普段使いの器がどのように作られるのか、赤木さんご自身が説明してくださった。漆器作りの大きな流れは、
1.塗師(ぬし)である赤木さんが総合プロデューサーとしてデザイン、企画をする
2.木地師に発注し塗っていない状態の器が納入される
3.木地に下地を付ける
4.漆を塗って完成させる
こう書くと単純だが、厳密な工程は126もあるという。しかも器一つが出来上がるまで、なんと2-3年かかる。木を切り倒すところから数えれば10年以上かかる。木は伐ってから5-10年寝かせ、材料として切る前に燻煙乾燥し水分量がゼロになるまで乾燥させる。そして粗挽きと呼ばれる、材料としてはかなりの余白をつけた状態で木は切り取られ、その状態で3ヶ月寝かされる。そこから中挽きとして周囲を削り取る。そしてまた3ヶ月寝かせる。仕上げの削りのあとまた3ヶ月。そうやって、完全乾燥した木に少しずつ空気中の水分を吸わせながら環境になじませていくという。そしてここからようやく塗りが始まるのだが、ここでも塗って乾かしを繰り返し、下地塗りを含めて完成するまでに1年。一つの器が完成するまで2~3年が必要になる。そして漆器はきちんと使えば一生使える。下地に使っている珪藻土はプランクトンの死骸で多孔質だ。この性質が空気の層をつくることで熱湯の温度が木地に伝わるのを防ぎ、木地に熱が伝わらなければ木は歪まない。従って漆も壊れない、ということらしい。

ー塗師の技ー
漆塗りについてのよくある誤解として、漆塗りはペンキ塗りのように思っている人が多い、というのがあるそうだ。前述の乾燥工程を経て下地塗りに入るのだが、この下地、地の粉というが、これは能登特産の珪藻土の粉で、これを塗っていく。これは「ペンキというより左官」と言ったほうが近い作業で、塗師は塗りながら造形をしている、つまり最終形態の仕上がりは塗師の仕上げ方で形が変わる、ということだ。指物(さしもの)と呼ばれる箱型の器では、箱の角を立てるか、丸めるか、そういったシェイプも塗師が作るそうで、色を塗っているだけではないそうだ。
下地を塗り始めたばかりのお椀を見せて頂いたが、蓋が随分と沈んでいた。高台(蓋を取るとき手に持つところ)がお椀の口と同じくらい?沈んでいるのだ。ところが、下地を塗り終わるころには、通常の完成品に見る普通のお椀の状態まで上がってくるほど下地を塗り重ねるそうだ。赤木さんの工房では一度に300個のお椀が作れるが、当然最初と最後に塗ったお椀の蓋の高さが同じにならなければならない。これを手作業で完璧にこなすのは高度な技術を長時間維持する高い集中力を要する。塗師になるにはこうしたフロー状態のようになれる要素がいるようだ。

ー仕上がりの仕組みー
下地を塗り終えた器は、2階で漆塗りの工程に入る。漆はホコリを嫌うため、部屋は徹底的に掃除し作業する。昔の人は衣類からほこりが出ないよう竹の皮でできたふんどし一丁の裸で作業したそうだが、今は女性の弟子もいるので赤木さんはウインドブレーカーを着て塗る。漆を塗り終えた器は塗師風呂と呼ばれる室に入れて乾燥させる。この室は回転式になっており、それぞれ干渉しないように細長い板の上に立てて固定した器を縦方向に回転させ続け、液だれを防ぎつつ乾かす。ただし、乾燥といっても水分を蒸発させるわけではなく、酵素の働きによって漆が固まるのを待つという工程となる。固まるためには湿度が必要で、結露しないギリギリの湿度を保って24時間以上回転させ続けて固まるのを待つ。今は電気でやっているが、江戸時代はゼンマイ、それ以前は人力だったと。こうした作業で漆塗りの器は仕上がっていく。

ー経営者としての困難ー
こうしてすばらしい漆塗りの器ができるのだが、経営者としての課題もあり、また業界全体としても売上低迷や後継者難といった難題に直面しているようだ。
輪島の漆器売上は、市の統計にある明治27年の記録から順調に成長を続けてきたが、1991年の180億円をピークに減少を続け、2019年に35億円と、最盛期の2割まで落ち込んでいる。塗師屋の数も1990年の1,806人をピークに2019年には905人と半減。右肩下がりで産業の縮小が進んでいる。特に木地師の減少が大きく、曲物師に至っては2人しか記録されていない。奥様によると、木地師の仕事がないため転職してしまう人が多い。そして技術が失われていく。それを防ぐ為にも木地師になるべく沢山仕事を出すようにしているそうだ。ところが今度は出来上がってきた木地を塗る塗師がいない状況で、人手不足らしい。赤木さんの工房でも、ここ3年程弟子入りがない。

後継者の問題は深刻なようだ。その要因として、例えてブラックと言われていたが、仕事が大変なことと稼げないことだろうと。それらの問題から職人自身が自分の子供には継がせない、という人も多いそうだ。また一般的に弟子入りしても2-3年で辞めてしまう人も多く、親方も弟子を取ること自体をやめてしまっている人もいるとのこと。赤木さんは「あと10年もしたら漆塗りができなくなるのでは」と危惧されていた。

経営者として難しい問題として、とにかく時間がかかることによる資金の回転の問題を挙げられていた。前述の通り器が完成するまで2-3年を要することに加え、肝心の漆の価格が非常に高い。ところで漆には「ビンテージ」と「テロワール」があるそうだ。つまり年代と産地。加えて採取した季節で性質が違うそうで、夏のものはサラサラ、冬のものは粘りがあるそうだ。年代、産地、季節をかけ合わせていつも同じ塗りの品質を保つよう配合して使う。一番古いものは2001年のものを見た。そしてそれらが缶に詰められて沢山保管されているわけだが、なんと2-3缶あれば車が買える程の値段がするらしい。これらの資金も完成して売れるまですべて寝ることになり、すぐに回収にはつながらない。漆器を作るのは技術だけでなく経営も大変である。

ー新しい職人のかたちー
このように工房経営には大変な問題があるものの、赤木さんの工房にはそういった悲壮感は見えなかった。というのも、工房は明るくおしゃれ、ご自身は個展をしたりメディアに取り上げられたりと大変なご活躍をされている。頻繁に輪島と東京を行き来されて活動されているということで、2021年12月にも東京で個展をされている。2022年ゴールデンウィークには銀座和光で個展をされる。またゲストハウスに加え、赤木さんのぬりものを使った和食の店も開店予定で、職人としてだけでなくプロデューサーとして様々な展開をされている。これまでの職人のイメージにはない活動をされている。

年の瀬に押しかけたにもかかわらず大変親切に、またご丁寧に説明をしてくださるその優しい人柄が本当に素敵で、そんな素敵な人の手からすばらしい器が生み出されている。人生の時間は、そんな人が作ったものと過ごしたい、と思った。

それと、弟子はいつでも募集中だそうなのでやってみたい人は是非ご連絡を。

http://www.nurimono.net/


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