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④無視しまくってきた自分のセクシャルのこと


④を書くつもりは全くなかったのだけど

③で書いた
「男女の価値観前提で自分はどこなのか?
それについて考えることが合わない」

上記のように書いたことについて
よりしっくりくる言葉が出てきたので
残しておこうと思う

前回↓




男女という価値観が前提にあるこの世のなかで、自分をラベリングする、男女の価値観が前提の言葉で言語化すると

結局は男女という概念に引っ張られる感じがどうしてもしてしまう



私は中性だ
身体は女性で、中身は男性なのか、女性なのかわからない、だけどどちらもあると認識している

だから中性だと説明したとして
それが全て自分を表しているんだろうか?



おそらく
この説明は男女が前提の世界にいる第三者に説明するときにはとても有効的だろう




男女の世界でみたときに
私は中性っぽいと分類されるが

性別?心の性?
私は私でしかないという感覚が最近強い

この世で分かりやすく説明するなら中性だということでしかない


おそらく
自分を生き始めてるから
私は私でしかないという言葉が出てくるのだろうなとも思う

(以前以上に自分を生き始めてる自分にも
そういう環境をくれる周りの人にも
とても感謝ありがとう)



何を言ってるんだろう?と思う人もいるかもしれないが、この世の言葉に当てはまらない感じがしている




そんな感覚を覚えた今日
過去の自分が書いた「海獣の子供」を観たときの感想が今の自分にメッセージをくれた

映画館でもう一度観たい
何回も観たいと思える作品だった

海にはいったり、宇宙に飛んだり、遺伝子レベルの世界にはいったり、目に見えない世界へ飛んだり、全ては繋がっていると感じさせられた

原作の一部
『言語で考えるってことは、決められた型に無理に押し込めて、はみ出した部分は捨ててしまうということなんだ』

大半の人は言語化して世界を認知する
言い換えれば
言葉にできる世界しか認知できていない

言葉で、目に見える何かで、
具体的に理解しようと生きてる自分に

言葉にできない世界
認知していない世界
言語化することで見えてない世界があるよと伝えてくれる、そういう作品だった

2019年7月14日「海獣の子供」を観た私の感想


この
決められた型に押し込める
はみ出した部分は捨てている
言語化することで見えていない世界がある


まさにこれに該当する気がするんだ




私は中性だ

先にも書いたように
この説明は男女が前提の世界にいる第三者に説明するときにはとても有効的だろう



だが全てを表しているとも思えない
この世にある分類ではなんと言うのがしっくりくるのかもわからない

私は私でしかない

何か1つの言葉だけでは表現できない
そう思う





1つの言葉だけで表記しきれないことは
他にも多々あるだろう

大切な誰かに「愛してる」と伝えるのも
その1つだと思う

「愛してるよ」と伝えすぎて、相手も聞き飽きているかもしれなくて、伝えきれているのかも明確ではなくて、別の表現を考えては、愛してるを分解したラブレターみたいな長文が出来上がっていたり

全てを含めた一言の愛してるも、
分解した愛してるの長文も、
どちらも「愛してる」だか、

全て表現しきれてない、
そんな気がするのが「愛してる」だと思う

一言で表現しきれないことの
分かりやすい1つの例だろう




日々の日常に感動したときも
私は一言で表現しきれないと最近よく感じている

ただ窓に当たる光でさえ、いいなと思う光景を目にするたび、今日という日、今この瞬間、この街、今ここにいること全部、嬉しさと喜びと感動と、いろんなことが合わさった気持ちで満たされる

2024年5月3日の私のXより

いいなと思う光景を目にしたときの感動も
1つの言葉だけでは言い表せない






言語を以て
自分を、世界を理解する
伝える
表現する

時にそれは言葉では表現しきれない「何か」を捨てているかもしれないということを覚えておきたいし忘れないでいたい




そのことも分かった上で
感じている、思っている全てを
出来れば表現したいし、言語化したい

たから
人に出会ったり、本を読んだり、いろんなアートに触れたりして生きていくんだろうな





冒頭から少し話は逸れてしまったが

無理に
今あるものに押し込めなくてもいいし

表現したい、伝えたいときは
その時必死に言葉を尽くせばいい



まあ
地球上の大半も、宇宙のほとんども
言語化できてないわけやし

自分についてもアバウトでいっか!
って思うよね笑


おわり




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