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自分を愛せる人に

どーも。最近なんか寒くて布団が離れてくれないなと思っているアホ大学生です。
今日3月11日は東日本大震災があった日です。当時幼稚園の卒園を間近に控えた僕に震度5の大地震が襲いました。そのときは僕は幼稚園にいて、たまたま懇談会で母親も幼稚園にいたので、すぐに母親と合流して家に帰りました。
あれから13年。今の中学1年生より下の代は東日本大震災を体験していないという話を聞いてびっくりしました。
東北の方々は度重なる余震と津波の恐怖があったことでしょう。寒い寒い避難所生活を余儀なくされて未来なんて見えなかったと思います。でも東北がここまで再興したのは被災された方々の並々ならぬ努力の結晶だと思います。とは言え、この震災で命を落としてしまった人も数多くいらっしゃると思います。亡くなってしまった方のご冥福を心よりお祈り致します。

さて。今日は何かというと僕の忘れたい…記憶の1つである元カノに言われたことについて考えてみようと思います。
僕は高3の夏から去年の夏まで同じ高校に通っていた人とお付き合いをしていました。
別れた理由は大学になりお互い忙しくなったことや、そもそも遠距離になって会える回数自体が激減していたし、決定打になったのが僕がバイトを始めて忙しさに拍車がかかってしまい、躁と鬱の差がどんどん大きくなって、僕が心無い発言を繰り返してしまったことにあります。

そんな元カノに付き合っている時から言われ続けたのにも関わらず、成し遂げ…?られなかったことの1つに

「自分を大切にしなさい」

というものがありました。
簡単なようで僕にとってはめちゃくちゃ難しいことでした。
僕はつい嫌なことがあると「自分さえ我慢すれば」と考えてしまう癖があります。そして溜め込んで、ほんとに自殺寸前まで自分を追い込んでしまいます。彼女としてもこれはいかんと思ってくれて「直せ」と言ってくれていたのでしょう。けれど、直すことができませんでした。僕は何かを人のせいにすることができません。相手が100%悪いって他人目に見ても分かることでもほんとに自分に非はなかったのかと考えてしまいます。なので僕は「怒る」ということができません。怒ったら嫌われるとかそういう次元ではなく、自分なんかにこの人を怒れる立場にあるのかと考えてしまいます。そしていざ怒ろうとしても怒ったことがあまり…というかほとんどないので、怒り方が分からず、言葉が出てきません。
よく言えば謙虚なのですが、もっと根幹なことが僕が人を怒れない原因になっていると思います。
それは「そもそも人間を信用していない」ということです。怒ったところで自分が疲れるだけで、相手には殆ど響いていないのではないかと心のどこかで思っています。このお説教の時間は自分にとっても相手にとっても無駄な時間として過ぎていくのではないかと思っているのです。だから怒るという行為に必要性を感じられません。
人のことを信用していないので、自分の心内を話そうと思えません。それが溜め込む原因の1つになっているということは手に取るように分かります。

そしてこんな事を言われた1番大きな原因は僕が僕自身のことが大嫌いなことにあると思います。自分という人間がとことん嫌いなので、自分を大切にしようと思えません。大切に思えないので、命知らずの行為をする事が出来てしまいます。「無理しないで」と言われても無理をし続けてしまいます。そもそも無理なんてものは甘えなんじゃないかって心のどこかで思ってしまっています。根性論という言葉はあまり好きでは無いのですが、やってることは丸っきり根性論です。
とは言えこの根性論を他人に押し付けるなんてことは絶対にしません。他人には良い人として嫌われないように振舞ってしまいます。
自分という人間を信用していない人が他人を信用できるわけがありません。しかし、その他人には好かれようとしています。そんな他人よがりな自分のことを好きになれる訳がありません。

僕は自分という人間が大嫌いです。自分のことを大切に思えません。そんな人が他人のことを愛せる訳がありません。自分のことも他人のことも信用していません。心の中で裏切られることが怖いから、信用しなければ裏切られたと思わない。と考えています。信用していない人のことを大事に思えません。僕にとって大事な人なんて今も過去もいないのかもしれません。
だから見切りをつけられて振られたのだと思います。
この先、僕は自分や他人を信用して、自分を大事に愛せる日は来るのでしょうか?
まずは、自分のことを信じてみることから始めてみようと思います。
人間を愛せるように。


アディオス。

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