生徒を泣かせた話。
どーも。最近、眠くて眠くて大学の授業に殆ど出ていないアホ大学生です。最近ほんとに眠くて仕事に行く以外の時間はほぼ寝ています。1日のうちの半分以上寝ているので、こんなんで本当に大丈夫なのだろうか?と自分でも不安になっている今日この頃です。
さて。今日はタイトルにあるように生徒を泣かせてしまったことについてお話しようと思います。
「先生が何しとんじゃい」と思われた方もいらっしゃるかと思いますが、とりあえず話だけ聞いてください。
泣かせてしまったと言っても泣くには理由が必要ですから、その理由を話させて下さい。
先にお伝えしておくとなにか不手際があって泣かせてしまった訳ではありません。それだけは先に知っておいて頂きたいと思います。
さて。前置きが長くなってしまいましたね。では何故僕が生徒を泣かせてしまったのかと言うと、その子を励ました…というか話を聞いてアドバイスしてあげたら、感動して泣いたという感じです。
では僕は何をアドバイスしたかと言うと、その子、(便宜上A君とします)A君は中学3年生でテニス部でした。そして引退がかかっている最後の夏の大会が僕が担当した授業の数時間前にあったそうです。
その試合でA君はかなり悔しい思いをしたそうです。僕は実際にその試合を見たわけではないし、A君からしか話を聞いていないので詳しいことは分からないのですが、かなり惜しいところまで頑張ったそうなのですが、結果は惜敗。
その悔しさを胸に塾に来てくれました。
そして、今まで散々な言い草だった親やコーチや顧問に気休め程度の慰めの言葉をかけられてそれがさらに腹が立つ。と言っていました。
その話を聞いて僕はまずは「おつかれさま」と言いました。それでは彼の気持ちは鎮まらないと思い、僕は「しんどい中、3年間ずっとテニスを続けてこられた自分を褒めてあげな」と言いました。
それから僕の中学の最後のレースの話をしました。
僕は水泳部でした。専門は背泳ぎでリレーの選手にも選ばれていました。でも僕は部活が嫌で嫌で仕方ありませんでした。嫌々3年間親や顧問に言われるがまま水泳を続けていました。
そして最後の夏の大会で僕は3位に入賞しました。2位の選手とコンマ数秒の差で負けてしまいました。でも僕は不思議と悔しくありませんでした。コンマ数秒の差で負けたと聞けば普通だったら悔しいと思います。もっとターンからの立ち上がりが速ければ…とかバサロがもっと上手ければ…とか監視員がストップウォッチを押すタイミングがもう少し早ければ…とあげればキリがない程、悔しい要素はあったはずです。でも僕は全く悔しくありませんでした。
理由は何故か。それは簡単です。部活に本気で向き合っていなかったからです。もし僕が部活に本気で向き合っていればきっと悔しかったはずです。でも僕は嫌々3年間水泳をやっていたので向上心というものがありませんでした。現状で満足していました。
それがA君との大きな差です。
A君は部活と本気で向き合っていました。僕が担当する授業の度に「コーチが鬱陶しくて…」とか「後輩が生意気で…」とか話を聞いていました。それは部活をちゃんとやっていたから生まれる感情だなと僕は思っていました。
僕にももちろん後輩はいました。後輩にタイムで抜かされ、リレーの選抜から外された時に後輩からバカにされました。でも悔しくありませんでした。所詮、自分はこの程度の人間だからなと思っていたからです。
A君は自分はもっとできたはずと思っていたのでしょう。
だからまずは3年間よく頑張ったね。おつかれさまと言いました。
そして「その悔しさをバネに受験頑張ろうなんて言えないし、言わない。自分の気持ちが落ち着くまでは焦らないこと。感情的にならないこと」と言いました。
彼の悔しさは彼にしか分かりません。こちらがいくら理解しようとしても完璧に理解してあげることなんてできません。
それから「テニスは高校入ってからだって、大学入ってからだってできるし、気持ちの整理をするのも大人になる1歩だと思うよ」と言いました。
A君は鉄道が好きでした。なのでよく僕は授業中に鉄道の話をよくしていました。
なので「これから部活の時間が無くなる分、自由な時間が増えるわけでしょ?だから今までずっと我慢してきた鉄道模型いじりをしたり、写真を撮りに行ったり、時刻表とか雑誌を読むのも良いんじゃない?この前のアンケートで将来の夢に電車の運転手さんになることって書いてくれたよね。まだまだA君のキャンバスは真っ白だよ」と言いました。
今A君にとっていちばん大切なことは冷静な気持ちを取り戻す事だと思ったわけです。
そしてA君には双子の妹がいました。(便宜上Bちゃんとします)僕はBちゃんの授業も担当しているので、A君の話もBちゃんの話もよく聞いていました。
そして「悔しい思いをしているのはもちろんA君だけど、その次に悔しい思いをしているのは多分Bちゃんだと思うよ」と言いました。
Bちゃんの授業が金曜日にあって、A君の授業が土曜日にあります。
Bちゃんの授業を担当すると必ずと言って良いほどお兄ちゃん(A君)の話が出ます。
そして帰りには必ず「明日Aのことよろしくお願いしますね」と言って帰っていきます。
僕はBちゃんがA君のことが大好きなんだなと思っていました。中学3年で双子で女の子ということもあり、A君本人の前ではツンツンしていますが、本当に良い兄妹だなと思っています。
その事をA君に伝えるとA君は涙を流し始めました。今まで積もっていた色んな感情が堰を切ったように溢れたのでしょう。
それから僕は何も言わずにA君が落ち着くまで隣の子の授業をしていました。
そして授業終了のチャイムが鳴り、少し冷静さを取り戻したA君に「あくまでもこれは俺が思った事ね。週に1コマ90分しか見てない塾講師の言うことなんてあんまり信用しないでね」と言いました。A君は静かに首を横に振り「今日はありがとうこざいました」と言って帰っていきました。
僕の言葉が果たしてどれだけA君に刺さったは分かりません。結局、授業は全く進みませんでした。でもA君が少しでも前を向いてまた1歩進む勇気が出たなら、それは無駄な時間ではなかったのかなと思います。
言葉というものは不思議なもので、時に人を傷つける刃になりますが、時に傷を癒す絆創膏になるんだなと思いました。今回、僕は言葉を絆創膏として使ったつもりです。
A君の傷はとても大きくて僕の絆創膏では塞ぎきれません。でも、A君の傷が少しでも癒えたならそれは良かったのかもしれません。
3年生はこれから天王山に登ります。
部活を引退して受験生になります。
それをサポートするのが僕の役目だと思います。そんな大役を任された以上、全うするのが先生としての性ではないかと思う今日この頃でした。
アディオス。
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