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2020年3月の記事一覧
カレーですよ4351(御徒町 ヴェジハーブサーガ)やっぱり野菜がすき。
きのうのテレビの影響か、湯島のデリーには行列ができていた。もちろんそれはいつものことではあるが、やはりどうもいつもよりも列が長い。
カレーですよ。
長さよりその落ち着きのなさがちょいと引っかかる。やっぱりテレビであろう。今日はインドがたくさん売れるのであろう。さて。
そんなこんななので、別のところへ。
上野、御徒町界隈はいろいろと代替えがきくので助かるのだ。デリーを代替え
上野の洋食、肉を味わうガンジーカレー
おいしい洋食を食べたくってひさしぶりの「遠山」。
上野駅のすぐ裏っかわ。上野の森に向かう坂道の一番下の入口部分に控える外食ビルの2階にある店。
端正な顔つきのお店です。
駅を向いた大きな窓が外の光を取り込んで、お店の奥まで明るく照らす。
奥とはいってもそちらが実は入り口で、入り口脇には厨房がある。Lの字型に設えられたオープンキッチン。その手前には作業用のカウンターがありグラスやお皿、カトラリーに
広島市はなぜ、お好み焼タウンになったのか?(後編)
前編では、原爆投下からの復興がお好み焼のニーズを押し上げ、県外から復興に関わる仕事をするために来た男たちを満足させるよう、ボリュームが増えていったことを解説した。
そしてこの波を捉え、大きなムーブメントに育てた人たちがいる。
それが二つ目の要因、井畝一族の活躍だ。
前編で紹介したように戦後、鉄板で小麦粉を焼く料理は、西日本の各地で始まっていた。
その頃、満州から引き揚げてきた井畝井三男さんは大
広島市はなぜ、お好み焼タウンになったのか?(前編)
「熱狂のお好み焼」にも書いたが、お好み焼は東京で生まれ、西日本を中心に各地で食べられるようになった。
それなのになぜ、広島市は全国に冠たるお好み焼タウンになったのか。
今回はそこにテーマを絞って書く。
なお、大阪市は全く事情が異なるので、別の機会に譲る。
戦前はお好み焼の一種である肉天をルーツとする洋食焼、一銭洋食などと呼ばれる料理が各地にあり、広島市だけ特別人気があった訳ではない。
小遣いを持