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「結婚出産を経てもタカラジェンヌを続けられたらな」について考えてみた

「結婚出産を経てもタカラジェンヌでいられる制度があったらな」

とても今の時代らしい声だなと思っている。

私のスタンスとしては、現実的ではないけども頭ごなしに無理!!と言うつもりはない。「そう言う働き方もあってもいいかもね」くらいには思う。

何故ならば、ゆくゆく少子化で受験生の数が減っていく事が予見される。容姿端麗優秀な女子ならば、芸能界や他の業界だって放っておかない。天下の宝塚歌劇団だって受験生の確保から苦労する時代が来る…かもしれないと思っている。そう言った中で、未来のタカラジェンヌ達に向けて色々な働き方があるよと示す事は決して悪い事ではない。

生徒さんの中で前向きな退団ではなく「結婚出産を理由にキャリアを絶たれる=退団が本望ではない」退団の理由が結婚出産で、それは不本意な選択でありる。許されるならば個人のキャリアを経ても舞台に立ち続けたい。もしそう言う人が居れば出来るだけその気持ちに寄り添ったシステムがあればいいよね。とは思う。

まぁでも、正直現実的ではないよねとも思っている。

お稽古→公演→お稽古→公演、年間通してみっちりぎっしり詰まったスケジュール。一週間で休演日が1日しかなくて1日2回公演をこなす日もある。終わってからも自主稽古やら収録などの仕事やらをこなしている。若い独身女性だって身体を壊しかねない位にハードなスケジュールだ。公演通して休演者が居ない公演の方が少ない。女性ホルモンのバランスが崩れたりすると聞く。フェモネなどで現役時代のメンタルヘルスについて話をされる機会が増えたけどまぁ過酷だなぁ。話を聞いている限り健康的に出産を望むならば決して優しくない職業だよね。

現実的に考えられるのは、専科さんで年間1~2作品程度でショーには出演されず。みたいな働き方なら可能なのかな。それでも専科さんなんて誰でもなれる訳ではないし専科だからこそ求められるものが大きい。そこまでして劇団に居てもらう価値がある人でなければならないとも思う。誰でもなれる訳じゃないよね。

そして、次なる障壁は「ファンの心理」である。

通称・すみれコードと呼ばれる宝塚ならではのアレ。本名や実年齢などをふわっと伏せるアレだ。夢を売る商売の人であると同時に、こちら側も夢を見させてもらっている。だからこそお互いに詮索しない暗黙の部分だ。必要以上にプライベートをあっけらかんとしないからこそあの夢夢しい世界が成り立つ。そこに「生理前で顔パンパンなんですわ~」なんて言う情報が入ってしまうと興ざめしてしまう。女性としては共感するんだよ?生理前ってしんどいよね~って。「子供がグズって寝不足です~」とか、職場の同僚ならあるある~って言うけど、舞台に立つ人からそんな情報はいらない。

特に男役スターさんは日頃の所作から気遣っている人が多いと聞く。舞台を離れても男役のイメージを壊さないための努力をしている。玄関開けたら男役として見られているので意識をして過ごす。その位ストイックな人も多い。劇団はアイドルとは違い恋愛禁止ではない。男役でオラオラ~ってやってても家に帰れば愛するパートナーがいて妻になる。それが咎められる事はないけれども、男役でいる時間にダーリンの影がチラついたら興ざめしてしまう。観劇帰りのファンと保育所のお迎え途中で遭遇したら嫌だよね。さっき、流し目で投げキッスしてましたよね?野太い声でジュテーム言ってましたやん!って(笑)子供叱る声も野太いんですねってなるやん。

生徒さん達が全力で芸に打ち込むのと同じくらいにファン側だって全力で夢を楽しんでるんだもの。

それに、タカラジェンヌには有限だからこその美があるとも思っている。高校野球・甲子園のあの独特の熱狂は高校生である3年間だけのもの。野球を続けたければ、大人になってプロ/アマとして続けるなり趣味の草野球程度でも続けられる。でも甲子園を目指せる期間は高校の3年間。タカラジェンヌだってそうだ。若い時の10年前後を全力で駆け抜ける時間が尊い。舞台に立つならば宝塚歌劇以外の舞台だって沢山あるし、夢組・タカラヅカライブネクストのようなセカンドキャリアを支援するシステムも出来つつある。宝塚歌劇に携わっていきたいなら表舞台だけとは限らない。元タカラジェンヌとして色々なビジネスを展開する人もいる。それが可視化されている今「現役」に強くこだわる必要はあるのだろうか。

その上で私は思う。

もしも、将来的に結婚出産の個人的なキャリアでタカラジェンヌである夢を終わらせたくない。それでもタカラジェンヌで居たい。OGのセカンドキャリアではなく現役のタカラジェンヌでありたい。そんな人が声を上げた時には考えてもいいと思う。外野からはそう言う考え方もアリだよね~ぐらいの気持ちは持っているよ!と言いたい。

間違えて欲しくないのはそこまでして続けて欲しいと願う「ファンの願望」ではない。当人が望むならば、だ。あの生徒さんにそうなって欲しい、と言う個人的な願望を押し付ける事ではない。ここだけは間違って欲しくない。

適齢期の女性ばかりのカンパニーゆえ、こう言う声は100年の間に何度も出て来たと思う。その意見は時代を経て色々な形に変えて、ファンの意識も変わっていきつつあるんだろうなと思いながら行く末を眺めていたいと思う。