見出し画像

【コラム 33】菜食主義になってはいけないワケ

(1045文字)

こんばんは。

シャワーヘッドを少し良いやつにしたら、お肌すべすべでびっくりしてます。でも誰に会えるわけでもなく…。

------------------------------

端的に言います。

個人的に、菜食主義に傾倒することは、あまりお勧めしません。
主義主張というのは、自分自身を高める方向にシフトして、整理していった方が最終的なゴールは、より良いものになると思っています。

世間一般で本当かどうかわからないけれどよく言われている「菜食主義の人に、食について押しつけられた」みたいなことは、本当に良くないと思います。食の席は楽しくあるべきだと私は思います。
(本当かどうかわからないと思うのは、“ベジ”なライフスタイルを実践している10年間で、そうそう菜食主義の人には出会えないという実体験から。)

そもそも、ベジタリアンと菜食主義は、私の中では別物です。

生き方という意味では同じかもしれませんが、VEGETUS(ベジタリアンの語源と言われている「イキイキ」、「快活」的な意味)を実践しているか否かで大きな違いがあります。

厳格な菜食主義の女性と食事をしたことがありますが、いわゆるベジタリアンである私も、彼女にとっては攻撃対象でした。
私は厳密にいうと、オリエンタル・ラクト・オボ・ベジタリアン(動物性のものと五葷※を食べないけど、乳卵OKのベジタリアン)で、彼女の主義の中では中途半端な精神のならず者だったわけです。
(※五葷=ネギ類、にんにく、にら、あさつき、ラッキョウ)

日常、同じ“ベジ”な料理を楽しんでいるにも関わらず、わかり合うことができませんでした。私もよっぽど“ノンベジ”の人と、焼肉屋や回転寿司でも行った方が楽しいと感じました。
そこに「イキイキ」感や「快活」な気持ちへのステップがあるかどうかは、私の中で非常に大きなポイントだと気が付いた出来事でした。

食、“ベジ”において、「食べるもの」にスポットが当てられがちですが、一番大事なのは『フリー』であるかです。

ストレスフリー、カルマフリーなど、自分の中で『フリー』な要素を増やしていくことが、この人生をより一層輝かせるための重要な要素だと思っています。
そのために“ベジ”はとても有用で、あらゆる『フリー』を同時に、そして自動的に導いてくれるものだと感じているので、つたないなりに発信を続けています。

人生にチャレンジするかは、個々の責任です。
私は、“ベジ”にチャレンジしたことで、にわか雨でできた水たまりから、大海原に飛び出した感じがしています。


心身の健康と調和をテーマに、“ベジ”を中心としたライフスタイルの提案に尽力します。