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□□□とボードゲーム(1.3)〜デュシャンとチェス(続)
前回の記事はこちら。
中尾拓哉さんの著書『マルセル・デュシャンとチェス』から引用しつつ、お茶を濁しておりました。
今回も濁します。
55NOTE
実は、中尾さんの著書の存在を知る何年も前から、デュシャンとチェスとの関係が深いことを、ちょっとしたきっかけで引っかかったとあるサイトで把握しておりました。
それが「55NOTE」です。
このサイトを書いているのは、いとうせいこうさんです。
「55NOTE」についているサブタイトルが
THIS WILL BE MY LIFE WORK
せいこうさん自らがライフワークだ、というんだから並々ならぬ文献なのです。
軸のなっているのはデュシャンのほかにもう2人います。
言語学者フェルディナン・ド・ソシュールと作家レーモン・ルーセル。
なにゆえ「55」なのかというと、
当時古本屋で買ったルーセルの代表作『アフリカの印象』の訳者あとがきはこう結ばれていた。「治療のため、スイスの療養所へ発とうという日の明け方、床にじかに敷いたマ ットレスの上で、ルーセルは死んでいた。五十五歳だった」
五十五歳はまたソシュールの亡くなった年齢でもあった。「ついに一九一三年二月二十二日の夕刻、夫人の持家であったヴュフランの城で静かに息をひきとった。享年五十五歳であった」(『ソシュールの思想』丸山圭三郎)
ある時、僕はおかしな予感がして東野芳明著『マルセル・デュシャン』を開き、年表を 見た。するとデュシャンは五十五の年、アメリカ定住を決めていたのだった。何も作らず に過ごすというデュシャンの伝説的な沈黙はその年に始まったといってもよかった。少な くともデュシャンは祖国を離れ、まったく別の環境で生きることにしたのである。
なぜ、みんな五十五で人生を区切るのだろう。
この疑問がポンと浮かんだのが、せいこうさん当時22歳。
そこから時が経ち、アラフォーに入っていよいよ取り組んであれこれと書き綴ったのが「55NOTE」。
しかし、未完のままだそうです。
未完のままながらウェブ上に存在し続けるなんて、実にありがたい。
どの方向にも足を向けて寝られません。
中尾さんの『マルセル・デュシャンとチェス』にも、「55NOTE」は参考文献として記載されています。
「失敗」「敗北」という名のゲーム
「55NOTE」の冒頭となるのは、前の方で引用した断章〈55−1−1〉となります。
そして、書き出しがこちらになります。
「チェスはフランス語でechec、つまり敗北という名のゲームである」
綴りをもうちょい正確に書くと「échec」です。
実際に辞書などをひいてみると、意味として最初にくるのが「失敗、挫折」で2番目に「(チェスの)王手」となっています。
複数形の「échecs」だと、意味は「チェス」となります。
ドイツ語でチェスは「Schach(シャッハ)」と綴りますが、語源は「échec」と同じルーツです。
ペルシア語「Shah(シャー)」。
意味は「王」です。
つまり「チェス」とは「王のゲーム」なのである。
なのにフランスにいくと――失敗をいいかえてみれば――「しくじりのゲーム」「行き詰まりのゲーム」とか「敗北のゲーム」に化けてしまうのが面白い。
「échec」のコールは対戦相手への皮肉……なのかもね。
締め
さてさて、この先を踏まえての続きはあるのですが、ここで一旦区切っておきます。
こんな感じでしばらく続かもしれませんがよろしくです。
では。
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