木村靖二『第一次世界大戦』――エロ小説書き、本を読む#3

 ひょんなことから、ガチガチのR18小説を書き始めてしまったアマチュア小説書き。でもだからこそ、本を読まなくちゃ!
 というわけで、中断していた読書感想記事を再開することにしました。相変わらず無節操な行き当たりばったり読書、よろしければどうかお付き合いのほどを。
 過去の読書感想 →https://zsphere.hatenablog.com/


 広く浅く、うっすらといろんな分野をつまみ食いするタイプの読書子であります。
 まぁそれでもやはり好みの分野とそうでない分野はあり、おのずと知識にも濃淡ができるわけですが、さりとて特定部分の知識があまりに薄くなるとそれはそれで落ち着かなくなったりもしまして。
 世界史関連の知識の中で、第一次大戦の周辺だけまるきり靄がかかったように何も知らないな、というのがふと気になって。気になったならとりあえず手に取ってみよう、ということで安易に手を伸ばすわけであります。
 でも、そういう気まぐれを起こした時に、すぐに手ごろな一冊が見つかる日本の出版文化は素晴らしいものですねぇ。

 さて。そんなわけで第一次世界大戦であります。
 本邦においては第二次大戦に比べるとどうしてもあまり話題になりにくいわけですが、世界史的には非常に重要な出来事でもあり、その落差が日本人にとって思考の陥穽になりかねないのかもな、と読んでいて改めて思ったりしました。

 以前、映画『戦場にかける橋』を見た時に書いたことを思い出したわけですよ。
 劇中で、日本軍の捕虜になったニコルソン大佐はジュネーヴ条約に則った捕虜の待遇を求めるわけです。ところが、日本軍側の斎藤大佐は「戦争にルールなどない、これはクリケットの試合じゃないんだぞ」と応じる。
 戦争にルールはあるんですよ。ジュネーヴ条約の俘虜の待遇に関する規定は第一次大戦後の1929年に締結されている。欧米はたび重なる近代戦争、そして第一次世界大戦での地獄のような状況を経て、「こら戦争にもルールがないとアカンわ」と思ってルールを設定したんですよね。
 もちろん欧米各国の間でもそういうのが破られたり無視されたりしたことは数多くあるわけですが、少なくとも共通認識・共通了解としてはあったんだと思うんです。第一次世界大戦という共通体験を通して。
 けど、日本だけは、第一次大戦の一番猖獗を極めたヤバい部分を体験してないわけですよね。第二次世界大戦に参戦した国の中でも、日本は第一次大戦の本当の酷さを経験していない。その落差が、第二次大戦の時に「日本だけ空気読めてない」という形で表面化してたんじゃないかな、という懸念がわりとあるわけです。
 欧米各国の戦争観と日本の戦争観も、もしかしたら現在進行形でズレてるのかもしれない、とか。

 とにかく、読んでいて、死傷者数の数字の大きさがすごすぎて脳がバグりますよね。特に戦略的に重要じゃない戦いで何十万人って損失がゴロゴロ出てるの、怖いよな。
 他にも、毒ガスの投入などなど。毒ガス兵器開発に関わった化学者ハーパーの奥さんが、反対を続けた末についに自殺してしまってたとか、なんとも凄惨なものがあります。サイエンスと戦争の関わりが加速したのも第一次大戦辺りからですよねぇ。

 いくつか、バラバラだった豆知識が関連性をもってつながったのは収穫でありました。なるほどね、塹壕による防御側有利な戦況があって、それを打開するために毒ガスや戦車の投入という流れがあったと。こういうつながりを脳内で作っておくというのも読書のご利益ですねぇ。豆知識はネットでも手に入るけど、大きな流れを掴むには書籍がまだまだ必要です。

 あくまで、予備知識皆無な人間が大まかな流れを掴むという読書だったので、そんな深い読みができたとは思っていません。が、思っていた以上に存在感のある出来事だったんだなというのが再確認できたのと、この戦争を境に世界で何が変わったのかが非常に分かりやすくまとめられていたので、その辺りを掴めただけでも大収穫な読書だったと思います。
 今回はそんなところで。

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