見出し画像

日中戦争を観たのか半藤一利さん

半藤一利さんが老衰でお亡くなりになりました。享年90歳、謹んで哀悼の意を供します。

この方は昭和史や幕末史で有名な歴史家です。

元々、文藝春秋の編集者として、時事の主筆だった伊藤正徳さん「大海軍を想う」のために当時生き残りの将軍や提督の話を聞いたり、 その後「連合艦隊の最後」の出版を担当したことから自身の言葉として「歴史への没入の契機」となったそうです。

戦後、数多くの閣下や旅団長にインタビューしましてと書いてあり、当事者から話を聞いた足で稼ぐスタイル、まさにジャーナリストです。

歴史は元々好きだという趣味嗜好は在れど何が仕事に作用するのか分からないですよね。かの文藝春秋の名物編集長、その後、専務まで勤めたエリートですから。

それが叙述側に回り95年に退社後、歴史家として四半世紀。

素人歴史家と大学の先生からは陰口も、いまや押しも押されぬ第一人者です。


1945年の終戦時に中三、わずか15歳だったはずなのに、産まれても居ない幕末を走り回って取材したような臨場感が魅力です。

この口述筆記に裏打ちされた一例を史実と共に比較していきます。

盧溝橋事件

日清戦争のあと日本が中国との戦争を始めた事件から見ていきます。

まずは一般的な解釈を左翼の朝日新聞から

2020年07月07日 夕刊
1937年7月7日、北京郊外の盧溝橋で夜間演習をしていた日本軍が、実弾の射撃音を聞いたとして近くの中国軍と戦闘になった事件。日本政府は当初、不拡大の方針を唱えたが、旧陸軍の強硬派に引きずられ、日中の全面戦争の発端となった。

これに対して七夕からの三日間を半藤一利さんの資料からみていきます。ネタもとは下記になります。

画像1

日中戦争なんて国力なんかを考えても今じゃ全くあり得ないです。でも、戦前は中国一撃論とか言いつつ満州を奪い、日本の関東軍が手具すね引いて狙っていました。

中国内にも義和団事件で物騒だと理由をつけて自国民保護のため欧米各国と共に駐屯させています。

天津にいるそのひとつの軍隊、一万人いた半旅団がやらかした事件がかの盧溝橋事件です。 

夜間演習でもしていたのでしようか?支那駐屯歩兵第一連隊第三大隊第八中隊(中隊長清水節郎(せつろう)大尉)に午後8時異変が起きます。

西の方から銃弾があり、それもかなりの発数が実弾として撃ち込まれました。 授業だと一発だったと習った記憶なのですが、全然それに収まらない弾数です。

撃たれる中隊があたふたしている中で点呼を取ると行方不明の一人発生。実は立ち小便で15分ほど持ち場を離れ遅れた人なのでしまらない話です。この人も一緒に行方不明の方(自分)を10時過ぎから夜中まで探すことになったそうです。

行方不明なんて見つかるはず無い状況で探している最中の午前三時半に更に銃弾を打ち込まれる事態に。今回も中国方面から打ち込まれることで更に混乱。支那駐屯歩兵第一連隊第三大隊第八中隊には誰から何のため?国民政府側の故意か意図的かも分からず。とりあえず上官に報告します。

これに対して上官にあたる牟田口連隊長から4時20分、交戦命令を勝手に下す指令が発令されます。本来ならもっと上位でないと出せない指令なのにやらかした第一段です。

因みに半藤一利さんは戦後、この人に実際に会う事が叶ったそう。この辺りのフットワークの軽さが他の歴史家とは異なりますから臨場感有ります。

この交戦命令の独断専行を更に上官の川部正造旅団長は許したそうです。

一般的にも私もここから戦争が始まったように思っていましたが、当時はまだまだ自制が効いていました。

日中両国は即時北京で交渉、天津では当時演習を両方バチバチしていたのだが9日午前2時に停戦協定で後退させる事がかなう事になり一段落つきます。夜中の丑三つ時まで交渉してたのが緊迫感ですね。

にもかかわらず牟田口連隊長は功にはやったのか支那駐屯歩兵第一連隊第三大隊に命令の後退ではなく、逆に前進を指示するしまつ。

この行動に対して国民政府側から消銃弾を撃たれ、なし崩し的に戦乱に入る。

この発砲事件は一説には共産党支持や北京大学の左翼の北京男児が行ったとも。

当時から戦争を誘発すると爆竹とか鳴らすならず者が居たのも確からしく、空砲や誤作動、テロリストの仕業など誰が発端なのかは諸説あるそうです。

川部正造旅団長はこの命令違反、最後の撤回タイミングでも何もしなかったそう。牟田口廉也連隊長を呼び出したその場に居た副官の河野又三郎はにらみ合いのうえ、一言も発せず無言のまま認可したと手記にする。

ここに日中戦争が端を発する。

まとめ

この牟田口廉也連隊長は行動派、226事件の左遷組でした、功績あげて一旗を目論む43歳でした。同年代としては身につまされる独断専行です。

首都のエリートが辺境に左遷。こんだけ燻(くすぶ)るなら一発逆転したいのは分からないでは無いですがそれで日本は戦乱に突入、日本国民も溜まったもんじゃないです。

因みにこの時、半藤一利さんは、小学生低学年です。

それが読み解く歴史、謎は全て解けた!ってコ○ンか?

インタビュアーとして、文献を読み込んで過去の蓄積からCDに吹き込んだリアルさは圧巻です。

他の資料、東京裁判では傲慢で暴発した日本軍が原因として書かれています。

また田中竜吉中佐の手記では、暴発した弾丸について お仲間の茂川少佐やらせたという話も。元凶はお前か?にニヤニヤした顔を返したって陰謀論も有るんですね。

いずれにしてもここから戦乱が激しくなったのは疑いの余地なし 宣戦布告無しのため資料上は事変扱いです。太平洋戦争の宣戦布告により日中戦争が始まるので戦争は言い過ぎらしいですが便宜上、混ざって記載しました。

半藤さんは国の四十年周期説を唱えられた方でもあり、幕末の初代の優秀さも三代目には頭でっかちの軍部エリートに取って変わられた。その1人である牟田口廉也連隊長が己の出世のため手柄を立てようとしたのが発端というのも劣化のひとつの例です。

戦後も、1945年の復興に寄与した松下幸之助、本田宗一郎人から始まる右肩上がり。 学歴エリートの官僚の手によりバブル崩壊し1992年で終了した。

と有りました。その説によると次の失われた○○年も四十年周期だと2030年には変わるはず。逆に盛り上がりの機運じゃないと周期ごとにならないと希望的観測です。

これまでの30年を見返すと拗らせオタクの手前味噌。それは日本は凄かったはずなのに、昔は凄かった筈なのに、失われた、失われたってひたすら過去を振り返って二流国になる低空飛行の時代だったと総括出来そうです。

つまり、バブル景気まで多少の不況はあれど景気は強く上向きでした。その中で偉くなったバブル世代とバブルの恩恵を受けた世代が右肩上がりの計画をたてます。実の日本は人口減少、ソ連という仮想敵国が無くなりアメリカ合衆国から危険視されるのに気づくのが遅れました。身の丈にあった右肩下がりの計画をたてるか、少なくとも現状維持を目指して入れば良かったのに世界第二位の経済大国という言葉に乗せられました。

これからの四十年は盛り返すというか、遂に過去の遺産に胡座をかける余裕も無くなるはずです。令和新撰組、維新みたいな政党ができるぐらい幕末の再来が次の四十年周期です。人の心配が出来るほど恵まれてないリーマンとしては切磋琢磨するしかない。

なお、わたくし自己研鑽しきれておらず著作権法に疎いです。

文字おこしの著作権、どうなるのか調べてみます。また音だけのオーディオから拾ったため個人名は間違いすいません。

著作権は死亡後50年生きるので2070年まで権利は生きます。引用が分かるように書けば例外なのですが、弁理士でも分からないことが多いです。


手記ってのも後々使えるんだと改めて感じます。このブログもいつか何かに役立つのか?

そういえば、この懐かしい休眠サイトが有りました。
 https://www.otosata0.life/entry/20060821/1347254766


noteで読者をしてたサイトが「はてな」に引っ越しになり探しがてらはてなを見てたら、

面白い文体に当たり大笑い。
なにやら既視感があると思ったら遠い過去の15年前にハマっていたブログでした。

コロナ禍の自宅警備態勢のお供に読み散らしました。

上のリンクは皆様ご存知「ゲド戦」

同じ戦記でも斜に構えた文体に読者として釘付けでした。その後、クリスマスとその二月前の誕生日のみ更新され、不幸自慢されてました。

2017年のクリスマス以後は更新が途絶え連絡が無いのは元気な証拠。遂にツガイかもしれません。

私は頭は中二病、体は更年期障害、逆コ○ンか?

さすがに歴史家目指して今から大学受験、センター試験はないと思ってたら、今話題の鼻だし逮捕者は年上の49歳と聞いて悪寒が走ります。周りに迷惑かけたらアカンと思います。本当に。




この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?