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DV相談のお仕事

相談員大失敗の巻

相談員歴十数年の中で、最大級の失敗話をひとつ。思い込みは厳禁という経験談をお伝えしたい。

30代の母(妊娠中) 中学1年男児 小学生女児

わたしがまだ、福祉事務所に勤務していた時のこと。電話相談だけでなく、直接の支援もしていた。

相談者はひとり親。働いて2人の子どもを育てていた。交際中の男性の子を妊娠したが、中絶を迫られた。辛辣な言葉で追い込まれた。男性には結婚する意思もないことがわかり、別れた。

妊娠中期に入り、女性は仕事を失い、家賃が払えずアパートを退去。母子3人で車上生活を始める。彼女からSOSの相談が入り、母子を緊急に保護することになった。

実母と関係が悪く実家には帰れない。姉もひとり親で頑張っている。男児の父とは離婚後は会っていない。養育費ももらっていない。女児の父とは結婚しないまま出産した。認知だけしてもらったがいまは連絡先も知らない。

「安全な場所に母子3人で避難したい。安心して出産したい」と彼女は希望した。子ども2人も母と同じ気持ちだろうと勝手に思い込んでいた。母と当然一緒に居たいはずだと。

母子生活支援施設に入所してもらう支援方針を立てた。施設探しの間は、女性の緊急一時保護所に入ってもらった。施設探しは難航した。分娩先を見つけられない、地域に受け入れOKの産科がないと断られた。

「やりましょう」と言ってくれたのは、遠い県外の施設。一日がかりで母子と一緒に見学に行った。施設のルールや今後の見通しを説明して、納得して入所してもらったはずだった。

一時保護所から施設に移って数日後。相談員としてはやれやれ落ち着いたと思った時。警察署から福祉事務所に連絡が入った。「男児を保護してます。」施設を飛び出し、これまで住んでいた家の近くの友人宅に来ていた。

「母と一緒に行きたくなかった。誰も僕の気持ちを聞いてくれなかった。」

ある日突然、友達や学校から引きはなされた。さよならも言えなかった。新しい学校は嫌だ。みんな興味本位に見てくる。

「これ以上お母さんに振り回されたくない」

相談員として彼女には説明を尽くしたつもりでいた。彼女から子どもたちには説明してあげるように伝えた。わかってくれていると思い込んでいた。母子3人で納得して施設入所を決めたのだと決めつけていた。

母の思いと男児の思いは違っていた。中学生という微妙な時期。母への反感、嫌悪が強かった。小学生の妹の母への思いとは違った。

男児は施設に戻ることを拒否。母と生活したくないと言った。児童相談所に保護された。

母と男児が再び生活を共にするまで、2年以上の歳月を必要とした。

相談員として苦い、苦い経験。

次は相談員として、もう少しましな支援をしたい。そんな思いで、今も仕事をしている。

できているのか。

*個人情報を保護するため相談内容は加工しています。プライバシーに配慮して載せています。

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