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40歳での出産と勇気

30数年前の今日、母が私を産んでくれました。母は私を40歳で産んでいます。しかも初産です。

母の時代は、”24歳までに結婚しなければ、売れ残り”と言われた時代でした。そんな中、母は大好きだった仕事に20年以上、打ち込んできました。女性で役職をもらうことができるくらい(昭和の時代ではこれもめずらしい)、バリキャリな人でした。

平成初期の高齢出産

今は40代の出産も増えました。でも平成初期はちがいました。母の友人はほとんど20代で結婚・出産。40歳で出産と聞くと、非常に驚かれた時代でした。祖母からは母の体を心配して「産まないほうが・・・」と言われたり、親せきからは「娘が20になるころには、お前は60。ちゃんと育てられるのか?」と言われたりしたそうです。

平成初期の仕事と子育ての両立

当時、母は産休も育休もとれましたが、育休後の職場復帰は叶いませんでした。それは働いている間、私の世話をしてくれる人がいなかったからです。今のように時短で働く選択肢がなかったり、預けられる保育所も充実していなかったそうです。祖母は近くに住んでいましたが、すでに70歳で私の世話は難しい状態でした。母は仕事を辞めました。

平成初期の子育て

母からすれば、自分よりも10,20歳も若い人たちが同じ年齢の子をもつ母親でした。幼稚園や小学校のイベント時には、そういった若い方との交流も積極的にして、行事に参加して、ときには若作りもして笑、本当に大変だったと思います。

母なりに、ちゃんと今の子たちについていけるように情報をキャッチアップしたり、私が興味をもったもの(アニメ、ゲーム、ファッション、遊びやら何でも)に関しては徹底的に調べていました。調べすぎて、私よりも母のほうがはっまっちゃたりなんてこともよくありました笑。ネットがない時代で、なんでも知っている母は改めてすごいなと思いました。

もし母が令和に出産していたら?

未婚で売れ残りと言われたり、高齢出産を止められたり、仕事も辞めたりすることも、なかったんだろうなと思います。

20代前半で結婚していないからと言って、売れ残りと言われれば、令和では炎上。

40歳での初産。令和では40歳初産の方は、平成よりたくさんいます。

育休後の職場復帰、令和では当たり前で、働き方も選べます。

母の生き方は今では普通の生き方ですが、当時にしてみれば圧倒的マイノリティーでした。周りに同じ状況の人がいれば、少し楽になるとは思います。でも、今みたいにSNSで同じ状況の人を見つけることができない時代でした。誰も40歳出産育児あるあるなんて、作ってくれませんし、共感もゼロです。

本当にそんな中で、私を産んで、育ててくれて、今も元気でいてくれて、感謝しかないです。

自分が産まれたころとのギャップを感じながら、母への感謝が強くなる、ここ数年の誕生日です。


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