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ソフィア・コッポラで学ぶ世界観の構築

 私は仕事に息詰まってる。毎日エンタメの膨大なインプットをしているのにそれを自分の仕事に上手く落とし込めないないのだ。

 私が、それを強く感じたのは去年から現れた『new jeans』のPDのミン・ヒジンの出現だった、正直彼女のSMエンタ時代のアートワークにはそこまで惹かれることがなかったのは、彼女のしたいことが100%その会社では出来なかったのだろう。
 しかし彼女が会社を移り、自分の表現したいことを100%表現出来る場があり、彼女の作品は私が比較的やり方ことを上手く落とし込んでる人という印象でとても羨ましいのだ。

 多分、彼女はソフィアコッポラの世界観にとても影響されてると思う、特にソフィアの『バージン・スーサイズ』だ。しかしこの感覚をアジア人がアジア人でその世界観を落とし込めることが私は天才的だと思う。
 好きな感性の作家を自分の作品に落とし込む、しかも人種が違うとなれば身の回りの背景やアイテムも違う、でもそれをしてしまえたことに嫉妬すら覚える。

 私は自分の作品の世界観を構築するための好きな世界感を持つソフィア・コッポラ作品を彼女が制作した年齢に私がなったのでもう一度見直した。
 若い頃は話の退屈さや、淡々とする日常の話も魅力がわからず表層的なものだけを見て、ソフィアの世界観が好きだと思っててた。幼い白人金髪の女の子が可愛い物に囲まれたりしてるみたいな・・・

 しかし、大人になって改めて見直すと、彼女の作品の一貫したテーマや趣向、癖などが映画に落とし込まれ、時代背景や登場人物は違うものの全ての作品に彼女の世界観が上手く作品に表現されていた。表層的なもので覆われてる「孤立感」「孤独感」「脱力感」「あどけなさ」そして自らの「自伝」である。
 特に私が好きなのは『SOME WHERE』だ。

 作品は淡々と流れ、主役はガーリーな女性でなく男性、11歳の娘エル・ファニング、このエルがソフィアコッポラ感満載なんだけど、この作品を見た時、孤独の描き方が上手くて誰しもが共感するんじゃないかと思う。どんなに楽しいことをしてても、それが去った後の孤独感は誰しもが経験するし、何をしてても満たされない自分とか、きっとこの作品は大人に響くと思う。
 そして、ソフィアの作品ってやっぱり表層的に消費されがちやけどロスト・イン・トランスレーションとかサムウェアは自伝的映画の落とし込みが上手すぎる。質感も良いしこんなに上手く作品にさりげなくわかりやすく自分の話を持ち出せるのもすごい。そしてそれをこんなにお洒落に作品を描けるセンスカッコ良すぎる。

 特に私はソフィアの作品なら『SOME WHERE』と『ヴァージン・スーサイズ』をおすすめする。『ヴァージン・スーサイズ』はソフィア・コッポラの良いところが最初の作品なのにもう彼女の名刺というものが全て詰まっていて原点にして頂点とも言える作品だ。
 『SOME WHERE』は表現の上手さやさりげないソフィアの自伝の塩梅が良くてくどくないのがいい。

 でも、彼女の世界観を知るには全ての作品を見ることをおすすめする。

 私が今回ソフィアの作品を30代になりあらためて見直して勉強したことは、一環したテーマをしっかり持ち表層的なもので関心を惹き自分の伝えたいことや表現したいことを作品で伝えるということだ。
 この表層的なものはマイナスの意味ではない表層的な部分にも自分のセンスと個性が必要なのだ、この表層的な魅力を作り出すこともまた難しく、常に自分のセンスを磨かないといけない、それを作品に落とし込む技術も身につけないといけない。このセンスがあり表現を理解してるのが冒頭にも話したミン・ヒジンなのだ。

 私は今回ソフィア・コッポラをもう一度勉強し感じたことがある。
私は「孤立感」「孤独感」「脱力感」「あどけなさ」「ファザコン」「自伝願望」の感覚はないので、まず自分の軸を知ることが大切だ。そして私には少女趣味もないので、ソフィアの表現の方向性とは違う気がする。

 こんな感じで自分の好きな表現を見つけて書き留めて世界観を構築する。
そしてアジア人だから人種関係なく好きな国の文化や世界観に自分を落とし込む、
「ロスト・イン・トランスレーション」のように好きな国に自分の身を置いて表現することもありだから、自分の好きな表現をこれから追求する。私らしさを構築するために。一旦縛りを解いて好きな表現をしてみる。

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