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結婚

27にもなると、結婚をしろという圧力を言外で感じることが増える。

私はただ自分の好きな音楽を聴いて、好きな本を読んで、やりたい仕事をして、抜きたい息を抜いて、着たい服を着て過ごしていたい。
非合理なまでに合理的で、それが評価される近代社会に積み重ねられた自分の足跡を時たま粉々に破壊したくなる衝動もきちんと自分として認めてあげたい。

他人に人生を委ねる行為だなんてどうかしている。

結局人生は自分のものなのだから、好きなように生きて好きな時に死ねばいい。
私は自分の好きな瞬間に自殺するのが最良の人生であると本気で信じている。このような人間が、自分が死ぬことで悲しむ他人を不用意に作るべきではないのだ。

そういった風に思い始めたのは16の時、もう11年も前だ。

当時の恋人に話したことがある。
つまらなそうにあくびをしていたので、きっと私が死んでも悲しむふりだけをする人だなと思ったものだ。
ならどうでもいいかと思って、偽物の抱擁をした。

それ以後も何度か交際の経験があり、その度に結婚するつもりはないということを匂わせるけれども、歳を重ねると不思議なほどに顔の曇り具合も深くなっていく。
既に一緒に暮らすことの安心感も、無我夢中で身体を重ねることの退廃的な快感も、腹を割ったふりをして話すことの一時的な享楽性も全て知っている。
これら結婚という契約を経ずとも十分に経験可能な感情を積み重ねるだけの生活と引き換えに、男側が何一つ得をしない契約を締結してしまってよいものだろうか。

そう、他人に人生を委ねる行為だなんてどうかしているんだ。

当時の恋人を基準に就職先を決めるだなんて神がいれば鼻で笑うような愚行をした自分が言うのも皮肉なものだが、他人を前提とした将来設計は絶対にしてはいけないものだ。
他人は絶対に裏切るし、たとえその行為が過失であっても故意の裏切り行為だと認識してしまう。
覚えていないだけで、自分も過去に友人や恋人を裏切っているだろう。
そして多分、拭いようのない恨みを抱える相手は、自分のことを全く覚えていないのだ。

今日も、結婚の話をする。
友人の惚気話の延長には、必ず結婚が顔を出すようになってきた。

惚気話は別に嫌いじゃない。
どうせ浮気するよだなんて心の中では思っているし、自虐的に発してしまうこともあるけど。
自分だって浮気しない保証はないのだ。
歪みきっているのが明確な私に惚気話を聞かせる最後の責任として、結婚で締めてほしいと思う。

そうすれば、また心の中で笑ってやるから。
たった一人で。

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