見出し画像

ボーカロイドとそれに端を成す現代日本音楽は、日本人的音楽観・音感の結晶だ

こんにちは。今日は前回の記事の続きです。

さて、前回こんな本を紹介しました。

その中で、この本には以下のような著者独自の史観があることを紹介しました。

二つ目は「J-POPは揺れ動いてきた日本人の音楽観・音感の終着点である」という論です。
簡単に言うと、伊澤修二以降無理矢理西洋の音楽理論にあてこまれて、明治以降長らく遺伝子的には等身大でない表現を強いられてきたが、洋楽らしい邦楽を掬うという試みから始まったJ-POPが、やがて演歌を除く邦楽全体という言葉に着地したことによって、ようやく真の音楽観・音感に着地したという論です。

今日はこの論について、私はちょっと異なる史観を持っているのでそれを紹介したいなと思います。


みのさんの史観:J-POPは揺れ動いてきた日本人の音楽観・音感の終着点である

まずみのさんの史観をもう少し詳細に紹介したいと思います。

昭和63年、平成直前に開局したJ-WAVEというラジオ局では、洋楽中心の選曲をするラジオ局でした。特に演歌や歌謡曲といった邦楽は除外する方針が取られ、洋楽をノンストップで流し続けました。
またもう一つ特徴的だったのが事前にプレイリストを公開しなかったこと。これは他のラジオ局にも広まっていくことになり、結果的にJ-WAVEの音楽的影響力は強くなります。

さて、この洋楽専門のJ-WAVEでもし邦楽がかかればどうなるでしょう。
洋楽しか聴かないようなリスナーにも刺さった邦楽曲、というイメージが付きそうじゃないですか?

それを狙ったレコード会社と、より存在感を上げたいラジオ局との利害が一致し、結果洋楽志向の強い邦楽が流れることになります。
そしてこれらがJ-POPと呼ばれることになるのです。

次第にJ-POPは本来の意味を離れ、様々な楽曲がこのカテゴリに入ることになったのですが、演歌や歌謡曲は依然切り捨てられたままでした。歌謡要素の強い音楽は既に当時古いものであり、若者たちの等身大ではなかったのです。
こうしてJ-POPは強い洋楽志向とも、歌謡要素とも別の場所へ向かい、等身大的な表現を獲得。これにより、明治以降長らく遺伝子的には等身大でない表現を強いられてきた日本人が、ようやくJ-POPという言葉の元真の音楽観・音感に着地した、これがみのさんの史観です。


私はこれに対し、一つ挑戦的な史観をぶつけたいなと思っています。
それが「ボーカロイドこそが日本人が初めて獲得した等身大な表現である」という論です。


ボーカロイドは極めて日本的である

ボーカロイドが出て10年以上たちます。
初音ミクを始めとして、巡音ルカ、鏡音リン、レン、GUMI、可不など多種多様なボーカロイドがあります。

そして海外版もあります。非常に有名な「酔いどれ知らず」というボカロ曲は、GUMIの英語版で作られています。

しかし、ボカロ市場は日本が圧倒的に大きいです。

実際に再生数ランキングを見るのが早いでしょう。
2024年3月31日現在、YouTubeのボカロ曲再生数ランキングは以下の通りです。

  1. Chinozo「グッバイ宣言」

  2. Crusher「ECHO」

  3. Kikuo「愛して愛して愛して」

  4. Yukopi「強風オールバック」

  5. ハチ「砂の惑星」

  6. Kanaria「KING」

  7. 椎名もた「少女A」

  8. みきとP「ロキ」

  9. DECO*27「ヴァンパイア」

  10. ピノキオピー「神っぽいな」

このうち海外曲は2位のECHOのみ
しかもどちらかというとECHOは突然変異で、トップ100とかで見ても他は全部日本の曲になると思います

それくらいボーカロイドというのは日本独自のもので、圧倒的に日本に偏った市場です。
その理由は色々あるとは思いますが、私はボーカロイドでの作曲方法と日本語の音声上の特徴が密接に関係しているという風に考えています。


以下は一般的なボーカロイドの作曲画面です。

ソフトはNEUTRINO。曲はグッバイ宣言

このように、多くのボーカロイドソフトでは、DAWのような感じで、MIDIファイルなどに対して一音一音に文字をあてはめて発音させます。
しかし、これはとても日本ならではのことなのです。

日本語の歌の場合、普通に一つの音符につき一音をあてはめますよね。
よく小学校の合唱祭とかで、音符の上に歌詞が書いてある楽譜で練習したりしたと思います。

こういうやつ。楽曲はYOASOBIの群青

一方、英語など他言語ではこの常識が全く当てはまらないんですよ。

例えば英語の場合、departmentという単語ではde-part-mentという区切りになります。de-pa-r-t-me-n-tじゃないんですよね。しかも、前の単語と繋がったり、歌い方によっては音が落ちたり、一つの音節をとても伸ばしたり、などがしょっちゅうです。

つまりは一音階につき一音という意識が希薄で、圧倒的にボカロで作りにくいんですよね。
実際、楽譜を見たら全然一音につき一音階じゃないのがわかります。

海外曲の例。ホイットニー・ヒューストンのI will always love youより。

私はこれこそがボーカロイドが日本で圧倒的に使われるようになった大きな理由だと考えているのです。

日本で生まれ、日本で育ったボカロ文化

もともとボーカロイドはイギリスで最初に売られたりしたんですが、実質的な始まりは2007年の初音ミクでしょう。
初音ミクは発売と同時に大ヒットし、そしてニコニコ動画を中心に大量のボーカロイド曲がアップロードされていくことになります。

その曲たちは今までのJ-POPとは似て非なるものであり、人間には到底出せないような早口だったり高音だったりはもちろん、独特のリズム感、エログロナンセンスなんでもこいの歌詞など、新時代の到来と言って差し支えないものでした。
初音ミク以前と以後では、日本の音楽シーンは別物であるということに異論がある人はいないのではないかと思います。

脳漿炸裂ガールなんかは、ボカロがなかったらまず間違いなく生まれてなかった類の曲の代表例でしょう。

そしてボーカロイドは今でも非常に人気であり、その中で「ボカロ界隈」とでも表せるような非常に独特な進化を遂げていきました。

無性別性

まず一つ目の特徴として、ボカロが性別に依らず支持されているということがあります。ボカロは男女ファンの数がほぼ同数であり、「男性でなければ/女性でなければ感情移入できない」というタイプの曲がかなり少ないです。
普通のJ-POP、特にボカロ以前のJ-POPの場合、もちろん男女どちらからも支持を受けているアーティストも多いものの、多少の偏りは不可欠でした。そしてどちらかの性別でないと感情移入が不可能である曲もめちゃくちゃ多いです。

一方で、ボカロの曲の多くは性別によって阻害されません
男くさい曲も女くさい曲もなく、タイトルやサムネでどちらかの性別に限定されるように一見思えるような曲でもそのほとんどが両方の性を肯定し、歓迎します。


ラブソングの少なさ

二つ目の特徴としてラブソングが少ないことです。

殆どの国で、メインストリームの曲の9割近くはラブソングです。日本も例外ではなく、J-POPと呼ばれる曲たちの大半がラブソングです。
しかしボカロはそのヒット曲のうちラブソングと言えるのは半分もなく、下手すりゃ2割以下です。

先ほどの再生数ランキングで上位に入っている曲でも「グッバイ宣言」「ECHO」「強風オールバック」「砂の惑星」「KING」「少女A」「ロキ」「神っぽいな」と実に10曲中8曲がラブソングではありません

また、ラブソングであってもかなり恋愛を自明としない扱いをしているものが多いです。
「裏表ラバーズ」で「ラブという得体のしれないものに侵されてしまいまして」と書かれたのはその典型でしょう。


高速ボカロック

3つ目が言葉数・音数が多く、テンポが速いというものです。

これに当てはまらない曲も普通にたくさんありますが、それでも「ボカロってどういうイメージ?」と聞けばこう返す人は多いでしょう。
こういうジャンルを「高速ボカロック」と呼んだりします。

先ほど挙げた脳漿炸裂ガールや裏表ラバーズはこの高速ボカロックの典型で、このジャンルはボカロでないと難しい上に、非常にシーンの支持が熱く、どんどん人気になっていきました。
現在でもこの流れは続いており、2023に大ヒットした曲でも「ラビットホール」「混沌ブギ」などはこのジャンルと言えるでしょう。


今、ボカロがJ-POPに逆輸入されている

さて、ここまでボーカロイドについて色々語ってきましたが、今度は現在のJ-POPシーンについて。

現在のJ-POPシーンはボカロの影響力が絶大で、過去最大にボカロ直下にあるシーンと言えると思います。

まずそもそもボカロP出身のトップアーティストが非常に多いです。
その代表例である米津玄師はもちろん、YOASOBI、ヨルシカ、岡崎体育、神山羊、須田景凪、キタニタツヤなど、シーンを席巻しているアーティストばかり。

そして曲調もかなりボカロ化してきています。
つまり、人間の声で高速ボカロックをする曲が非常に増えましたし、従来なら攻めすぎていると言われるくらい非常に複雑で技巧を要するヒット曲が増えました。

ボカロがなかった世界線では現在人気のアーティストの多くが今とは全く違う音楽性だったでしょうし、そもそも音楽シーンのトップの顔ぶれ自体が今と全然違った可能性さえあると思います。

そして、この過去最もボーカロイドの影響が強い現在の日本のポピュラー音楽シーンは、過去最も独自性の高い(日本イズムの純度が高い)シーンであると思います。
そしてこれはとても誇らしいことであり、私は次世界で流行する音楽こそ今の邦楽だと本当に心から信じています。


Zoe的史観

さて、ここまでの話をまとめると、以下のようになります。

①ボーカロイドは日本語が最も使いやすいソフトである。
その理由は一音階に一音入れるというのが日本語の音韻的特徴にマッチしているから。

②結果、ボーカロイドは日本で非常に独自性の高い発展を遂げた
ボーカロイドはJ-POPにも世界の音楽シーンにもない非常に特異な特徴を持ったシーンです。

③現在、ポップシーンでのボーカロイドの影響力は絶大であり、翻って現在の日本のポピュラー音楽シーンは過去最も特異性が高い
ボーカロイドの影響は明らかに強く、その結果世界に類を見ない音楽がヒットしまくっています。

そして、今この過去最も日本イズムの純度が高いシーンに至ってやっと、日本人の真の音楽感・音感を探る旅は終わったというのが私の史観です。

"J-POP"はまだまだ西洋傘下

みのさんの史観との違いをもう一度書きますと、

  • みのさん:洋楽らしい邦楽を掬うという試みから始まったJ-POPが、やがて演歌を除く邦楽全体という言葉に着地したことによって、ようやく日本人が真の音楽観・音感に着地した

  • 私:日本語が最も相性が良く、日本国内で非常に独自な発展を遂げたボーカロイドが邦楽全体に影響を及ぼしたことによって、ようやく日本人が真の音楽観・音感に着地した

ここで争点になるのは、90年代前半に演歌を除く邦楽全体であったJ-POPが本当に真の音楽観・音感に着地していたかどうかです。
私はここがまだ懐疑的なのです。

というのもこの時期の邦楽からは洋楽の影響を色濃く感じます
B'zは明らかにツェッペリンなどの影響を受けていますし、Mr.ChildrenもMVでコステロをパロディしたことは非常に有名です。
これって、まだまだ日本人の音楽が西洋的音感に囚われていたからなのでは、と思うんですよね。

一方今の邦楽は先述の通りボカロからの影響は色濃く感じるものの、洋楽からの影響はかなり希薄です。
これこそが日本人の音楽が西洋的音感から解放され、真の音楽観・音感に着地した証なのではないでしょうか。


実はみのさんに直接ぶつけてきた

とここまで長々と持論を書いてきたわけですが、実はこの記事を書こうと思ったきっかけがあります。
実は先日、『にほんのうた 音曲と楽器と芸能にまつわる邦楽通史』刊行に当たり、講演会が東京で開催されました。
邦楽で通史を書ききるという営みに非常に感銘を受けていた私は一秒も悩まずにこの会に申込み、参加してきたのです。

講演会の様子

最後に質疑応答タイムがあり、私がこの持論を簡単に話したところ非常に好評でした。そのため今回このような文章を書くことを決意し、記録させていただきました。
重ね重ね、みのさんには大変感謝しております。

サインもいただきました!

今後も邦楽の批評が盛り上がり、邦楽全体も、ボカロシーンも、発展しますように。

この記事が参加している募集

私の勝負曲

いただいたサポートは、大学院の研究生活に必要な経費に充てさせていただきます。