見出し画像

休日の松屋はもの寂しい

この前の土曜日の話である。
受験生として日夜問わず自習室で勉強している私は昼ごはんを求めて行きつけの松屋へと向かった。
向かったのだが、いつもと雰囲気がなにか違う。
お客の数がやけに少なく閑散としていたのだ。


時間は正午を過ぎたお昼時。
普段であれば会話こそほとんど聞こえてこないものの、時間に追われるサラリーマンたちの静かな熱気を感じたものだった。それがガラッガラ。
普段から薄暗いとは感じていたが、その日は弱々しい照明がいつも以上に気に掛かる。

券売機で麻婆豆腐定食を注文しながら気がつく。
そうか今日は休日じゃないか。
ビジネス街に位置するこの松屋のメインの客層はそこに勤めるサラリーマンたちで間違いないだろう。その人たちがそもそもこの街にきていないのだ。閑古鳥が鳴いているのにも合点がいく。思えばここに来るまでの間、行き交った人たちは皆大きな荷物を手にしていた。

「番号でお呼びしますので、そのままお待ちください」
205番。
券売機から吐き出された食券を手に席を探す。いつも使っているテーブルはおじさんに占拠されており、結局ウォーターサーバーの隣の席に落ち着いた。
麻婆豆腐の調理工程は別のメニューよりも多いらしく、経験上提供までにそこそこ時間がかかる。それまでの時間スマホをいじるふりをしながらそっと店内に目を向けた。
休日にも松屋に来る人間に、言うなれば自分の同類に興味が湧いたのだ。

見渡すかぎり男性客でそのほとんどは私服。一部にスーツ姿も混じっている。
年齢にはばらつきがあり、大学生風の若者から杖をテーブルに掛けたお爺さんまで、まさに老いも若きもである。その中で曇りガラス越しに見える向かいの席のお爺さんが片肘をついて牛丼を頬張る姿がやけに印象的だった。

「205番でお待ちのお客様。カウンターへどうぞ」
予想よりもはるかに早く呼び出されたことに面食らいながらカウンターへ向かい、食券と麻婆豆腐定食を引き換える。麻婆の中にはんぺんのような豆腐がどーんと鎮座しており、それを自分で崩して食べるスタイルだ。
初めて頼んだ時は少し驚いた。
席に着き豆腐を崩して麻婆の海に沈める。
切り分けるレンゲが皿にぶつかってコツンコツンと音を立てる中、意識は今ここにいないサラリーマンたちへ向いていた。

休日には姿を見せない彼らもきっとどこかで昼食をとっている。
松屋にいないのは当たり前で、誰かと食事を楽しもうとする時「安い、うまい、早い」は似つかわしくないのだ。
もちろんそういう選択肢もあると思う。しかし、あまり選ばれない選択肢だとも思う。
松屋でみせるサラリーマンの仮面を脇に置き、夫の仮面・父の仮面を被って食事に臨んでいることだろう。
私たちは仮面を付け替えながら日々をやり過ごしている。


意識は目の前のぼろぼろになった豆腐へと戻る。
私の手持ちの仮面は何枚か。
大学生の頃は人並みに持っていたように思う。コロナで社会機能が麻痺した中、そのいくつかを捨ててしまった。今では数えるほどしか残っていない。
仮面の数を社会の中で果たすべき役割の数だと考えればその数はあまりにも頼りなかった。

崩し終わった麻婆豆腐を口に運び「安い、うまい、早い」を噛み締める。
その時、視界の隅に外の景色が映り込む。それが少し眩しかった。

休日の松屋はもの寂しい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?