春に思い出す音がある話

 ソメイヨシノがぷっくりと芽をつけはじめた。
 娘の通う保育園から、卒園式のお知らせが届いた。
 気づけば今年は幼稚園組と保育園組へ別れる年齢だった。娘を含め、半数ほどの園児はそのままひとつ上の学年へ上がる。もう半数は、他の幼稚園へ進級する。その別れと区切りの春、卒園式を執り行うとのことだった。

 お知らせの端に描かれた証書を手渡すイラストに、中学卒業の日を思い出した。中学卒業といっても、中高一貫校のため別れはまるでなかった。春休みを終え4月になっても同じ敷地の隣に建つ高校の校舎で学ぶことになる。
 戦前期の趣が残る講堂で形式だけの卒業式を終え、教室に戻った。
 各々、ひとりずつ言葉を並べる。最後に、担任の先生から別れの挨拶をいただいた。中高の音楽教科担任をされていて、高校の音楽も引き続き受け持たれるのでこちらも別れはない。
 ふくよかで優しかった先生は、私たちの成長への喜びと今後の期待を簡潔にのべられたあと、
「僕は言葉にするのが苦手だから、一曲贈ります」
 と楽器を手にされた。わあ、と教室や廊下から覗く保護者からの歓声が湧き、「いやいや、そんなたいした演奏ではないんですが」と、あがり症だった先生はチェックのハンカチで額を拭いた。私たち生徒はいつもの光景に目を細める。

「では」
 と先生が頷くと、重そうなイエローラッカーが軽く揺れた。
 すうっと、教室から音が消え、こんな日にも校庭で部活をしている下級生の、遠い笑い声だけが小さく聞こえた。
 数秒目を閉じ、マウスピースに口をつける動作が丁寧で、見ているこちらの背筋が伸びた。管弦楽部の顧問をする先生だけれど、楽器を奏でる姿をあまり見せない。
 すう、と音もなく吸い込まれた空気が、管を通し、深く、もったいぶったように深く、鳴った。長いサクソフォーンは、しまりのない春の陽気を裂くように、ゆっくりと重厚に響いた。
 長い一音目が膨らんで、しぼんで、慎重に二音目へと流れる震えで、もう、私はだめだった。
  痛いくらいに鼻がツンとして、目頭を両手で押して必死に耐えた。日常の延長のような卒業の日、涙を流すなんて考えてもいなかった。
 伸びやかで、時に不安定に奏でられる音が教室のいたるところで跳ね返り私を刺す。刺したと思えば包まれる。ビブラートがやわらかに震えて、静かに厚く響く。音が揺れるたび心が揺れた。自分の呼吸よりも緩やかに刻まれる音に惑わされそうだった。
 止まれ止まれと押し止めていた涙がぼろりと一粒溢れると、遠慮なく続けざまに流れた。制服の袖口で拭う。涙を流す予定なんてなく、ハンカチは教室後方のロッカーの鞄へ入れたままだった。恥ずかしい。学校で泣いたことなんてなかった。湧き上がる羞恥を誤魔化すように、隣の友人を見る。ぎょっとした。遠くの友人を見る。みんな同じだった。同じように涙を流して震えていた。

 はじまりよりも晴れた音で演奏を終えた先生は、涙を拭う生徒や保護者に何度か「ありがとうございます、ありがとうございます」とはにかみながら小さく頭を下げた。
 そして、姿勢を正し私たちを見た後、
「“G線上のアリア”という曲です。みなさん改めて、卒業おめでとう」
 と締めた。

 娘の卒園式を思ったとき、今まで聴いたどの演奏よりも胸に響いたあのときの音が、記憶の中で色を持って奏でられた。

 10代だった私は、その日泣いていた友人と、音楽を聴いて感動しただの、先生サクソフォーンうますぎるだの何度も話して興奮していたが違った。あの日、先生が音に乗せたのは、最後に聞いた言葉の通りの「想い」だった。
 先生の「祝福」の想いを静かに乗せられた演奏に、心を揺さぶられたのだ。
 あのとき流した涙の意味を、やっと理解できた気がした。
 今更ながらにそう思ったとき、言葉ではないもので気持ちを伝える術を、心底美しいと思った。
 その術を持たない私は、きっと言葉で伝えることになる。「おめでとう」の気持ちを、言葉以上にをうまく伝えられるだろうか。これから先、何度も訪れる春の度、先生のように、美しく。
 今月末、娘の卒園式を迎える。そして私は、春に思い出す音がある。


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