子育ては親育て「自分でできる子に育つ ほめ方 叱り方」(#読書の秋2020)
愛されて育ったはずなのに、なんで私はこんなにも、自分で自分を認めることができないんだろう。ずっとそう思っていたけれど、やっと腑に落ちた。
子育てにかかわる全ての方に読んでほしい本です。
”モンテッソーリ教育・レッジョ・エミリア教育を知り尽くしたオックスフォード児童発達学博士が語る「自分でできる子に育つ ほめ方 叱り方」”島村華子さん・著の読書感想文です。
◇
どきりとした。
「すごい!」「よくできたね!」「さすが!」
昨日、10回以上娘に言ってしまった、娘をほめる言葉。
「ほめる」と言えば聞こえはいいけれど、毎回「言ってしまった」と思っている。私はずっと、娘を育てながら、「ほめる」言葉に疑問を持っていた。
◇
私は、父、母のもと、とても愛されながら育った。そう思うのは、父や母が、ことあるごとに私をたくさん「ほめた」から。
小学校受験をするために通っていた塾。
定期的にテストを受け、その順位が先生から発表される。まわりには「おりこうさん」を体現した子どもたち。
「すごいね」「偉いね」「賢いね」「いい子だね」
そう言われるたび、私は「ほめてほしい」を原動力に、周りの大人が考える「聞き分けのいい子」を演じるようになった。
◇
家では、親のいうことをしっかり守り、どこに出しても恥ずかしくない子ども。行儀もよく弟の面倒をみる、おっとりとした優しいお姉ちゃん。
親がいない外の世界は、好きなように振る舞った。天真爛漫で勝気。休憩のチャイムとともに校庭にかけて出る、溌剌とした子ども。
うっすらと二面性を持っていた。内弁慶の外地蔵の真逆を行くタイプだった。外出先で同級生に会って、そのギャップを見られるのがとっても恥ずかしかった。
それはだんだんと、自分の意思を持たない、ガッチガチの「いい子ちゃん」へ。親の用意したレールに無意識に乗って、親の理想通り勝手に動く機械となった。
ヴァイオリンを習ったら良いと言うのでそれに乗った。
興味がなく、あまり練習しないので、やめる?と聞かれてそれに乗った。
洋服はこのブランドでいいんじゃない、と言うのでそれに乗った。
いつも行く定食屋では餃子定食でいい?と言われるので毎回それに乗った。
おやつはこれが好きだよね、と言われるのでそれに乗った。
地元の、XX大学がいいんじゃないと言うのでそれに乗った。
そしてふと、レールを外された時、例えば就職活動なんかで「この後の人生を自分で決めなければならない」という重すぎる事実に直面し、愕然としたのだ。
◇
全部が全部、繋がっているとは思わないし、親のせいにするわけではない。大半は私の主体性のなさからくる自己責任だと思う。
けど、いざ娘を育て始めると、やっぱり親が子どもにかける言葉は大切だと気づく。だって、きっと今3歳の娘が多くの時間、心を寄せているのは、私たち、父親と母親なのだ。
父や母からかけてもらった言葉で、「嬉しかった言葉≠良い言葉」なのかもしれない。その思いは確信を持てないまま、娘と過ごす時間が増えるたび、じわじわと薄墨色の不安を心に広げていた。
私は、私がしてもらった「子育て」しか知らない。自由に自分を表現できる子に育ってほしいのに(こう思うのもまさに反動ではないかと思う)、私がやっている「子育て」における「ほめ方」は、無意識に私の母のやり方をなぞっていた。
親から受けた愛情は確かなものだったけれど、「ほめ方」の方法は他にあったのかもしれない。本書を読んで、そう思う。
◇
本書のテーマの一つである「ほめ方」は以上にして、本書を読んだ後に、もう一つのテーマ「叱り方」を変えてみた話をひとつ。
※できていないところももちろんありますが、そこは初回ということで…カッコ書きは私の心の反省です。
娘が、遊びながら牛乳を飲んでいた。
私は何度も、牛乳をこぼすといけないから、遊ばずに飲んでね、と声をかけた。娘は、上の空で返事をしながら電車のおもちゃで遊び続ける。
その数秒後、やっぱり娘は、バランスを崩したと同時に牛乳をこぼした。
あー!もう、だから言ってたのに…(感情で言ってしまった…)
驚いたまま固まった娘は、広がる牛乳を見つめてこう言う。
「ごめんなさぁい…こぼしちゃった」
うん、そうだね。こぼしちゃったね。どうしてこぼれたの?
「娘ちゃんの、足に当たってこぼれちゃった…」
そうだね。牛乳飲みながら遊んでたら、こぼれることが多いよね。
遊んでなくて、うっかりこぼしてしまったなら仕方ないけど、遊びながら飲み物飲んで、それでこぼすのはよくないよ。もったいないよ。(くどくど言っちゃった…)
じわり、と娘の目に涙が浮かぶ。
「だって、この電車を、車庫に入れようと思ったんだもん…」
じゃあ、どうしたらこぼれなかったと思う?
「だって!車庫に、入れようとしたの!」
そうだね。牛乳を飲むより先に、車庫に入れたかったんだね。
牛乳を一旦どこかに置いて、電車を車庫に入れてから、また飲んだらこぼれなかったよね。(答え言っちゃった…)
「うん…そうだね」(私のそうだね、を真似し始めた)
次から、そうしてみる?
「うん!」
一緒に牛乳拭いてくれると嬉しいんだけど、どう?
「一緒に拭いてみる!」
◇
牛乳をこぼして、叱ったはずなのに、最後は笑顔で会話ができていた。
もう、これだけで、この本を読んでよかったと思った。
これまでの会話の質を変えるのって、すっごく頭を使う。頭をフル回転させながら子どもと向き合う。
それを考えてか、本書の最後に「でも大丈夫。全部完璧じゃなくても、あなたの子どもはダメにならないよ」という優しいメッセージも添えられている。
そう、この本は、親も子どもも幸せになる力を持っている。
娘は3歳。私も夫も、子育て3年生。
これからずっと続いてゆく「ほめる」と「叱る」。そのタイミングを、娘の信頼を積み重ねるチャンスだと信じて、ひとつひとつ、丁寧に接していきたい。
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