逃げた男


 当時の面影は消えていた。

 平屋建ての古びたアパートはなくなり、小ぎれいなマンションが建っている。駐輪場には、子供用の自転車が目立った。

 道に沿って流れていた用水路も消え去っている。用水路と言うよりもどぶ川と言った方が正しいような、ヘドロだらけの真っ黒な用水路だった。

 当時の面影は、どこにも見当たらない。ここが果たしてあの場所だったのかも疑わしいほどだ。だが、確かにこの場所なのだ。

 当時の建物や用水路が消え去っても、私の記憶は消えていない。

 そう。私は、逃げた男なのだ。

 その記憶は何十年たっても消えることはなく、今でも私の心をかきむしる。なぜ、逃げてしまったのか、今でも夜中にふと思い出し、残り少ない髪をかきむしるのである。

 私は、基本的には逃げない男だ。常に「逃げちゃいけない」と自分に言い聞かせながら生きている男である。

 例えば、ウンコを漏らした時だって、逃げずに「申し訳ない。これは、私のウンコです」と正直に言える男である。

 なぜ、逃げてしまったのか。私は、目の前の様変わりした風景を見ながら、苦い記憶を思い出す。

 あれは、小学6年の時だ。

 近所の駄菓子屋に行こうと自転車に乗っていた時のことだ。

 ふいに左手の車の陰から人影が飛び出してきた。人影の進行方向は右。そのスピードと距離を計算すれば、私が左に倒れ込めば衝突を防げる。とっさに私は、自転車を左に傾け、回避しようとした。

 だが、無理だった。衝突は避けたのだが、接触はした。

 私は左に転倒し、その男の子は右に倒れそうになった。だが倒れずに、そのままとっとっとっと走っていった。そして、横を流れる用水路に落ちた。

 用水路というか、どぶ川である。当時は、環境など誰も気にしない。生活廃水やらゴミやら工場の廃液やら何でもかんでも放り込み、真っ黒なヘドロがたまった川も多かった。

 ヘドロがクッションとなり、落ちたショックはなかったようだ。男の子は、すぐに立ち上がった。だが、全身ヘドロで真っ黒である。ものすごい大声で泣き始めた。

 これは大変だ、と私は起き上がって助けようとした。するとそばにいたオッサンが私の肩を押さえ、こう言ったのだ。

「早く行け。とんでもないことになるぞ」

 そして、グイと私の背を押したのである。私は、「とんでもないこと」という言葉に恐怖し、あわてて自転車に飛び乗り、その場を離れようとペダルをこいだ。すると、背後でものすごい声がした。

「どうしたんじゃあっ!?」

 女性の声なのだが、怪獣のような声だった。私には「どうしたんギャオ~ッ!!!」というように聞こえた。私は、後ろも振り返らずに逃げ去ったのである。

 その通り。私は、ひき逃げしたのだ。

 あとで知ったのだが、そのあたりには日本一馬鹿で救いようのない暴力団である「山口組」の幹部の家があった。「とんでもないこと」という言葉から推測すると、男の子はその子供。そして、怪獣のように吼えた女性は、その妻だった可能性が高い。

 男の子には、心からお詫びしたい。

 例え父親が日本一馬鹿で救いようのない暴力団員とは言え、子供には罪はないのだ。私は、逃げたことを、今なお後悔し続けている。「ヘドロ人間」などと友達からあだ名を付けられていなければいいのだが……。

 私に「行け」と言ってくれたオッサンには感謝したい。父親が暴力団員であれば、私個人には危害を加えなくても、私の親を脅した可能性はある。

 私の父親は厳格で正義感が強く、しかも気が短い。さらに剣道のかなりの上級者で、真剣を振り回す癖もある。もし脅されたら、腕の一本くらいは切り落とす人間である。

 例え、相手が日本一馬鹿で救いようのない暴力団員とは言え、腕を落とせば犯罪者だ。危うく犯罪者の息子になるところだった。また、暴力団員も素人相手に腕を落とされたとあっては、面目が丸つぶれだろう。

「早く行け」と言ってくれてありがとう。どこのどなたかは存ぜぬが、かたじけない。

 様変わりした風景を前に、私は「かたじけない」と声に出して言った。続けて子供に対して、「申し訳ない」と声に出して言った。ヘドロ人間でも強く生きるのだぞ。

 マンションから主婦らしき女性が出てきた。その手には、幼稚園児くらいの男の子の手が握られていた。私の姿を見て、不審げな表情を見せる。

 長居しすぎたようだ。

 私は、自転車のペダルをぐいと踏み込んだ。

 背後から、「どうしたんギャオ~ッ!!!」という叫びが聞こえたような気がして、私は思わず首をすくめた。





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