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20210513_映画が観れなかった話

曇天の空模様、多分私の部屋の近くに巣を作っている鳥たちの声が聴こえます。こんにちは、ぢぜみです。今日は久しぶりにアマゾンプライムで映画を観た話とこのままだとまずいなぁと思ったことでも書こうと思います。かなりショックでした。


映画館以外で久しぶりに映画を観ました。作品は少し前にTwitterで流れ着いたものを。「これ観終わったら感想文でも書いてみようかな」なんてちょっと考えながら観ていました。しかし、この文章が感想の記事になっていない通り、それ以前の問題があったのです。


 問題、それは映画を飛ばして観てしまったこと。映画は全ての間、台詞、息遣いすべてが作品であることそれは理解しているのです。しかし、集中力が絶望的に続かなかった。スト―リーしかなぞることが出来なかった。かなりショックでした。なんというか不穏な気配がすると怖くなってしまうのです。しんどい思いはしたくない、疲れることが分かっているからできないという状況です。加えて空白の、余白の表現がおっくうになる、そんな感じです。かなりまずい状況だと思います。


 昨日の記事を観ると分かりますが、私はかなりしんどい小説を読みました。今日見た映画よりもストーリーとしては重く、読んでいた時間は今日の映画と同じくらいの二時間ぐらいです。それなのになぜこの映画を跳ばしながら観てしまったのか。それは空白、無言の情報を得ることが難しくなっているのかもしれません。小説の場合は人物たちが無言で見つめあっているシーンも文字で描写がされています。しかし、映画などの映像媒体では無言は説明されません。


 書いていてかなりショックです。説明がないと映画が観ることができない?私の想像力の衰えを感じます。しかし私は小説の行間を読むのはかなり好きです。その差は何なんでしょう。


 ここで考えたのは映像作品に慣れていないからではないかということです、身体の体力と共に心の体力ってある気がします。それは身体の体力のように心を動かさなければ育ちません。私は昔から私は静止画と文字情報のほうが得意だった気がします。あとアニメは大丈夫、最近は観ていないけれども。その為、ある程度文字資料に対する心の体力はついていると思います。しかし映像、それが生身の人間が演じている様子はとくに苦手な気がします。ドラマはほとんど観ないし、少なくとも小説よりは演技という物を観てこなかったと思います。私の人間の演技の映画についての体力は多分数年寝たきりだった人間並みに落ちているのかもしれません。


 とりあえず今日はこういうことにしておこうと思います。映画の表現も好きなのでリハビリのようなことをしていきたいです。楽しいものは増えたほうが良いですら。今日は自分でも何となくしか結論が出来なかったことをここに書きながら考えていたのでいつも以上に文が雑多ですね。ではこの辺で。

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